日記

2025年7月 5日 (土)

今日のブラタモリ「大山詣り山頂へ▼絶景・天空の神社へ!江戸のヒーローなぜ参拝?」都合の良い作り話多過ぎ

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この図は、大山参りが一番盛んだった頃の、現在の阿夫利神社下社の場所です。当時はここは大山寺本堂(不動堂)。江戸幕府の公式図です。

江戸の火消しの皆さんが「雨降山」だからお参りに来た?江戸時代の大山は門前町を含めて山全体が大山寺ですが、山号を「雨降山」と呼び始めたのは19世紀になってから。それ以前は「阿部梨山」または「阿夫利山」。語源はサンスクリット語の可能性も指摘されています。火消しの皆さんは職業としてはとび職の方々が多かったので、その仕事柄の信仰を説明しないで、雨と火事で説明済ませるか?解説ガイドの人選を間違えてます。

途中、字幕文字で、寺と神社が両方あったような説明文が小さく出ましたが、江戸時代には組織としては寺しかありません。18世紀に、山頂の大山寺本宮(石尊社)の修築工事を担当していた手中明王太郎家が平安時代の『延喜式神名帳』の「阿夫利神社」(アフリノカミノヤシロ)を山頂社に名付け始めて(おそらく権威付け?)から、山頂社のみを「阿夫利神社」と呼び始めました。

詳しく知りたい方は拙稿「相模の一山寺院と『新編相模国風土記稿』地誌調書上―大山寺と光勝寺―」(『山岳修験』第65号、日本山岳修験学会、2020)をお読み下さいませ。

2025年6月28日 (土)

今日のブラタモリ「江戸っ子の大山詣り▼渋谷発・大流行の参詣旅!百年以上続く宿坊」を見て、一つ違和感

今日のブラタモリ「江戸っ子の大山詣り▼渋谷発・大流行の参詣旅!百年以上続く宿坊」を見て、一つ違和感。「坊中」は「宿坊」が集まって「坊中」ではないだろう?誤解を生みやすい説明だと思う。

「坊中」という言葉は一山寺院の中の院坊群がある場所を指す言葉なので、まだ阿夫利神社がない江戸時代初期に大山寺所属の下山させられた院坊が門前町を形成したから「坊中」なのであって、その院坊群エリアの人々がやがて御師として「宿坊」も始めました、という事ではないのか?

2025年6月 3日 (火)

第12回 相模国霊場研究会

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第12回 相模国霊場研究会、無事終了しました。本日のご発表は「半原宮大工集団と神奈川の寺社霊場建築」柳田尚也(湘南盆踊り研究会代表/一社)半原宮大工集団理事)

やんごとなき事情により、今回のご発表は一本。個人的にはご教示頂きたい内容がコンパクトに詰まっていて願ったりかなったりのご発表でした。それぞれの専門ジャンルを超えて、「霊場」という「場」の構成要素にこだわる研究会としては、「霊場」の建築物は欠かせないのです。ありがとうございました。

次回は、第13回、2025年11月3日(日)です。ご発表は、池田敏宏さん(高野山大学大学院)と、日室大樹さん(個人研究〈人文地理・神社巡拝〉)と決まりました。乞うご期待。
http://banshowboh.world.coocan.jp/sagami_study/

2025年6月 1日 (日)

相模国霊場研究会第12回 内容変更のお知らせ

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2025年5月20日 (火)

第12回 相模国霊場研究会 お申し込み状況

相模国霊場研究会の第12回の参加申し込みが20名を超え、会場のキャパシティに近付いてきました。研究情報交換会です。お申込みはお早めにお願いいたします。

2025年5月18日 (日)

小島瓔禮先生ご逝去のお知らせ

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琉球大学名誉教授 小島瓔禮先生(民俗学・日本古典文学)がご逝去され、本日、愛川町の仏果山のふもとの小島先生宅に弔問に行ってまいりました。奥様に、ほんとに久しぶりだわねえ、と言われ、ご無沙汰に恥じ入り手を合わすばかり。大山縁起真名本に、ここ愛川町半原・田代エリアの記述があることに自分が気付いたのも小島先生のおかげ。学恩に深く感謝しながら合掌。

2025年4月25日 (金)

第12回 相模国霊場研究会のお知らせ

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第12回のお知らせチラシが出来ましたのでご案内いたします。

詳細はコチラ↓です。
http://banshowboh.world.coocan.jp/sagami_study/

2025年1月 3日 (金)

相模国霊場研究会 八菅山巡検(『八菅山地誌調書上』を歩く)&八菅神社宝物館見学

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まだ正月3日ではありますが、八菅山宝物館は三が日と祭礼日の年4日間のみが開館日。修験宗廃止令(明治5年:1872年の山伏禁止)までは南関東最大の山伏集団の霊場だった八菅山の700年間にわたる貴重な歴史文化遺物を実際に拝観できてなお且つ皆様が集まれそうなこの日を選んで本日開催しました。前回11月の相模国霊場研究会の城川発表の時からの懸案有志企画です。

中津川を渡れば、集落も社殿も今は無き本堂も祖師堂も含んで全てがもと八菅山光勝寺一山。江戸時代の絵図や史料をもとに皆さんで歩いて充実の時間でした。

さて、次回研究会は2025年6月2日(月)、岡崎 佑也さん(東洋大学大学院文学研究科史学専攻日本史学コース博士後期課程)の上州の地方文書にみる安政期の大山大火についてのご発表と柳田尚也さん(一般社団法人半原宮大工集団理事)の半原大工についてのご発表の予定です。場所は相模原市立 市民・大学交流センター ユニコムプラザさがみはら(小田急線相模大野駅 徒歩2分)。
http://banshowboh.world.coocan.jp/sagami_study/

私は今日もやらかしました。行きのバスで、掲示説明用のiPadを車内に置き忘れ、ご説明にお示しするはずのカーラー絵図や写真や史料は何も使えず・・・。

2024年12月27日 (金)

相模国霊場研究会1/3八菅山巡検

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11月にお知らせした八菅山巡検の案内画像も作りました。
http://banshowboh.world.coocan.jp/sagami_study/

2024年12月 6日 (金)

小田原 量覚院秋葉寺 火防祭

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久しぶりにお訪ねしました。本山修験宗 量覚院の火防祭。公式の修験道教団の山伏が集合して修験道寺院で催行される祭礼は神奈川県内ではここだけではないでしょうか。しかも秋葉権現の七十五膳供もあり。それだけに貴重な祭礼だと思います。

本山の京都聖護院からも何人もご出仕されていて、自分が大峰奥駈修行の新客の時に大変お世話になった泰岳師もいらしていました。修験道の本格的な儀礼を拝観するには神奈川県内ではなかなか機会がありません。特に本堂で行われた息災護摩供はたっぷり一時間。修験懺法も久しぶりに拝聴しました。唱えられた真言も三十種以上。本山修験の勤行常用集にはない秋葉権現の真言が特に重視されていたのはさすがに秋葉権現を本尊とする量覚院ならでは。そしてやはり見事なのは松明で梵字を描きながらの火生の舞。

お陰様で身体が煙臭くなりました。合掌。

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