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2025年1月 3日 (金)

相模国霊場研究会 八菅山巡検(『八菅山地誌調書上』を歩く)&八菅神社宝物館見学

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まだ正月3日ではありますが、八菅山宝物館は三が日と祭礼日の年4日間のみが開館日。修験宗廃止令(明治5年:1872年の山伏禁止)までは南関東最大の山伏集団の霊場だった八菅山の700年間にわたる貴重な歴史文化遺物を実際に拝観できてなお且つ皆様が集まれそうなこの日を選んで本日開催しました。前回11月の相模国霊場研究会の城川発表の時からの懸案有志企画です。

中津川を渡れば、集落も社殿も今は無き本堂も祖師堂も含んで全てがもと八菅山光勝寺一山。江戸時代の絵図や史料をもとに皆さんで歩いて充実の時間でした。

さて、次回研究会は2025年6月2日(月)、岡崎 佑也さん(東洋大学大学院文学研究科史学専攻日本史学コース博士後期課程)の上州の地方文書にみる安政期の大山大火についてのご発表と柳田尚也さん(一般社団法人半原宮大工集団理事)の半原大工についてのご発表の予定です。場所は相模原市立 市民・大学交流センター ユニコムプラザさがみはら(小田急線相模大野駅 徒歩2分)。
http://banshowboh.world.coocan.jp/sagami_study/

私は今日もやらかしました。行きのバスで、掲示説明用のiPadを車内に置き忘れ、ご説明にお示しするはずのカーラー絵図や写真や史料は何も使えず・・・。

2024年12月 6日 (金)

小田原 量覚院秋葉寺 火防祭

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久しぶりにお訪ねしました。本山修験宗 量覚院の火防祭。公式の修験道教団の山伏が集合して修験道寺院で催行される祭礼は神奈川県内ではここだけではないでしょうか。しかも秋葉権現の七十五膳供もあり。それだけに貴重な祭礼だと思います。

本山の京都聖護院からも何人もご出仕されていて、自分が大峰奥駈修行の新客の時に大変お世話になった泰岳師もいらしていました。修験道の本格的な儀礼を拝観するには神奈川県内ではなかなか機会がありません。特に本堂で行われた息災護摩供はたっぷり一時間。修験懺法も久しぶりに拝聴しました。唱えられた真言も三十種以上。本山修験の勤行常用集にはない秋葉権現の真言が特に重視されていたのはさすがに秋葉権現を本尊とする量覚院ならでは。そしてやはり見事なのは松明で梵字を描きながらの火生の舞。

お陰様で身体が煙臭くなりました。合掌。

2024年11月 4日 (月)

第11回 相模国霊場研究会

追加告知:2025年1月3日(金)午後「八菅山巡見」が決まりました。まだ詳細は未定ですが、ご希望の方は事務局&案内人 城川までお申込み下さい。
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今回は、ご発表予定だった岡崎さんが発熱のため急遽参加出来ず、研究発表は城川一人となりました。結局ご参加20名。自分では、たぶんまた時間内に終わらないだろうなと思っていた大部の史料の読み解き発表なので、一人しかいないのだったらフルに時間を使わせて頂こうと、たっぷり2時間半ぐらいを使って『八菅山地誌調書上』を最後までご紹介させて頂きました。

今日は、いつもの部屋の予約が取れずに、実験(or調理)実習室のような部屋になりましたが、なんと夕暮れの窓の外には、八菅山伏が峰入り修行をしていた山並み!そして、司会を務めて下さったのは八菅山には縁の深い愛川町出身の佐藤けいすけ神奈川県議会議員。不思議なご縁がつながって感慨深い会になりました。ありがとうございました。

打上げでは、1996年生まれの大学院生や写真家がいると、飲み食べのスピードが違うのを実感。結論、とっても楽しい研究会でした。

次回は、来年6月2日(月)の予定です。研究発表は、今回参加出来なかった岡崎佑也さん(東洋大学大学院文学研究科史学専攻日本史学コース博士後期課程)の上州地方文書にみる安政期の大山大火についてのご発表と柳田尚也さん(一般社団法人半原宮大工集団理事)の半原大工についてのご発表と決まりました。

ご参加者、常時募集しています。
http://banshowboh.world.coocan.jp/sagami_study/

 

2024年8月27日 (火)

長賢?

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宝治元年(1247) 、承久の乱で敗れ配流先で亡くなった後鳥羽上皇の霊を慰めるために建立されたという鎌倉鶴岡八幡宮寺の今宮(新宮)。当所には後鳥羽の誕生時から後鳥羽を宗教的に護持してきた長厳と順徳上皇もともに祀られていたらしい。あきらかに祟りを畏れての事。

ところで、『吾妻鏡』では複数個所で「長賢」になっていてここの石碑でもそうなっているのが不思議。京都や熊野の史料では「長厳」で、熊野三山検校、新熊野社検校、石山寺座主、大僧正という要職に就いた仁和寺出身の真言宗僧(『朝日日本歴史人物事典』は間違えて園城寺出身の天台宗僧としてしまっています)であり修験者。天台宗園城寺系の熊野三山検校が多い中で、後鳥羽の強い引きで熊野三山検校の地位を手に入れた修験道史上有名人。

2024年8月14日 (水)

2024年夏の丹沢山地

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2024年3月18日 (月)

出張講演「『大山地誌調書上』に記録された大山の姿」@伊勢原市 雨岳文庫

3/17(日)に伊勢原市の雨岳文庫から講師としてお招きいただき講演をしてまいりました。50人ほどのご参加者が大変熱心に聴いて下さいました。中には、万象房会員の方、相模国霊場研究会に参加している大学院生、伊勢原地区選出の県会議員の方、教育委員会の方、雨岳文庫を拠点に『新編相模国風土記稿』を調査している方々、大山道を踏査している方々、などなど、大山研究に対する意気込みを皆さんから感じた次第。

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公益財団法人 雨岳文庫のホームページはこちら↓
https://ugakubunko.org/ohp/

今回の内容はスライド中心でご説明したので、レジュメはそのうちの省略版になりますが、こちらです。

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私の次回講演会は4/16(火)夜に、「町田グラウス山の会」の会員様対象に行います。

2023年11月30日 (木)

第43回 日本山岳修験学会 霧島学術大会

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鹿児島県霧島市まで出張してきました。第43回 日本山岳修験学会 霧島学術大会(共催:霧島神宮、霧島市教育委員会/後援:鹿児島県教育委員会、宮崎県高原町教育委員会)、11月25日(土)~11月27日(月)。紅葉が美しい霧島でした。

初日から、鹿児島県内唯一の国宝「霧島神宮本殿・幣殿・拝殿」のまさに国宝たる極彩色に囲まれた内部空間を拝観させて頂き、その素晴らしさに圧倒されました。午後のシンポジウムは、まさに二か所の高千穂を擁する南九州ならではの「天孫降臨と霧島」がテーマで、その中でも国指定重要文化財「霧島の神楽ー狭野神楽(宮崎県高原町)ー」の92歳の長老のお話に命をかけてお神楽を守ってこられた覚悟を感じ、感動しました。

2日目の研究発表は、南九州をフィールドにした研究発表が一件のみだったのと、鹿児島・宮崎で昔から地道な研究成果をあげてきた旧知の先生方のお姿が見えなかったのが残念でした。ただ、相模国霊場研究会でともに発起人として運営を手伝ってもらっている武井慎悟さんが若手研究者の新人賞とも言える奨励賞を受賞されたのがとても嬉しかったです。

最終日のフィールドワークは、3コースのうち念願の高千穂峰登拝コースに参加しました。噴火の影響で樹木が育っていないまさに絶景の火山群。朝は雨模様でしたが、登っているうちにどんどん雲が晴れ、地球の恐るべき力を視覚的に体感し、神仏への信仰心が生まれる必然的聖地地形であることを確信しました。

第44回学術大会は来年11月中旬、徳島県で開催されます。日本山岳修験学会は会員を常時募集しています。ご興味のある方はぜひご入会下さい。
http://www.sangakushugen.jp

2023年7月 3日 (月)

徳川家康の姪「万姫」と日向薬師のお話

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現在放映しているNHK大河ドラマを観ていて、3年前の調査研究を思い出しました。

伊勢原市の日向薬師(江戸時代以前は「霊山寺 日向薬師」、明治時代以降は「日向薬師 宝城坊」)には江戸時代に何種類もの縁起(社寺、仏像、宝物などの由来、または霊験などの伝説を記した文書)がありました。

古いテキストは火事で焼失し(でも写しが国立公文書館に現存していてその内容の分析と翻刻は以下拙論でご紹介しました)、長い間、寛文4年(1664)に「松嶋雲居和尚」という人が書いて「菅原氏 光顕院専誉伝守」という人が寄進した縁起が、日向薬師の代表的な縁起として、『伊勢原市内社寺縁起集』や『神奈川県史』や『修験道史料集』で翻刻され紹介されてきました。

ところが、この縁起は、ちょっと的外れの縁起で、あきらかに日向薬師と関係のない人が書いていることが内容からわかってしまう文章でした。でも、今まで、この縁起に関わっている上記の人たちが誰なのかを調べて教えてくれる研究者がどなたもいなかったので、論文を書く都合上、自分で調べてみました。すると、以下のことがわかりました。

寄進したのは、徳川家康の生母 於大の方(現大河ドラマでは松嶋菜々子)と再婚した久松俊勝(同じくリリー・フランキー)夫妻の息子 松平定勝(つまり徳川家康の異父弟)の娘「万姫」。血筋としては徳川家康の姪、そして養女として豊後国岡藩(大分県)主 中川久盛に嫁いで正室。法号は「光顕院殿心蓮社専誉普照伝守大禅尼」。

『伊香保記』という有名な紀行文の作者でもあり、相模大山にも参詣に来ています。当時、中川氏と万姫は熱心な薬師如来信仰を持っていたこともわかりました。そして久松氏の本姓は菅原氏です(日本は伝統的に夫婦別姓で、結婚しても実家の姓を名乗ります)。

そして、この縁起を書いたのは臨済宗の高僧 雲居希膺(うんごけよう/うんごきよう)。仙台藩主 伊達忠宗(伊達政宗の次男)に呼ばれて松島瑞巌寺を再興した人です。

つまり、徳川家康の養女「万姫」という当時最上流階級のお姫様の薬師如来信仰に応じる形でやはり当時有名な臨済宗のお坊様が書いて寄進された縁起だったわけです。

【参考】
拙稿「『相州大住郡日向薬師縁起』仮名交り文縁起について」(『山岳修験』第67号、日本山岳修験学会、2021)

2023年1月23日 (月)

清川村生涯学習課 歴史講座「丹沢山麓の山伏と相模の村里」無事終了しました。

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本日は神奈川県愛甲郡清川村に出張してまいりました。清川村煤ヶ谷と江戸時代以前の山伏との関わりをテーマに講師を務めてまいりました。

明治5年に政府によって山伏という職業が禁止される前の数百年に及ぶ山伏と煤ヶ谷の関りをテーマに各時代の史料をもとに解説。定員を大幅に超える皆様が聴きに来て下さり感謝感激でありました。

このコロナ禍、あつぎ郷土博物館で決まっていた私の講演会が緊急事態宣言やまん延防止措置などで2回も直前に中止になってしまっていたので、久しぶりの講演でした。

終了後は、煤ヶ谷の先輩のお宅で打上げ🍺。飲まされました😵やっとの思いで町田まで帰り着きました。でも、フグちり鍋やフグのから揚げなど何十年ぶりに頂きほっぺたが落ちた状態でお暇いたしました。ありがとうございましたm(_ _)m。

2022年10月24日 (月)

日本山岳修験学会 第42回学術大会@長野県飯田市

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主催 日本山岳修験学会・同第 42 回飯田学術大会実行委員会
共催 柳田國男記念伊那民俗学研究所・飯田市・飯田市教育委員会
後援 南信州広域連合・伊那谷研究団体協議会・南信州文化財の会・伊那史学会・伊那谷地名研究会・風越山を愛する会

研究発表:「三山学頭檀那院胤海と念仏聖」「東日本大震災以降における法印神楽の継承とその課題」「文化観光と修験道—羽黒山を中心に—」「験比べについての一考察」「新しい霊山に集う人々—近代武州日原(にっぱら)白石山の仙人・教祖・行者—」「昭和戦後期の武州御嶽山—生存戦略としての観光化—」「富士山登山案内図の制作と頒布—吉原宿田子之浦絵図の分析から—」「西浦田楽における別当と能衆」「南信州の富士山信仰を探る」「長野県南部・愛知三河の亡霊塔」「文化八年 十六善神図 から検討する秋葉・金比羅信仰の諸相」「英彦山修験道における自然信仰と森林文化再興—鬼杉落枝と千本杉による不動明王像制作—」「和歌森太郎の木曜会加入前における修験道研究」

公開講演:天竜川水系における山岳信仰と修験道
「山岳信仰と景観 —虚空蔵山を中心に—」「東山道と南信州の顕密寺院」「遠山霜月祭にみる修験道儀礼と信仰」

巡検:Aコース(白山信仰の山 風越山(権現山)登拝コース)、Bコース(東山道と南信州の顕密寺院)、Cコース(遠山霜月祭の伝承地)

私は風越山に登ってきました。今までほとんどご縁の無い場所で、全国から参加された研究者の幅広いご発表でした。今回は山岳宗教・修験そのものよりも山岳信仰の諸相のご発表が多いのかなという個人的印象をもちました。

しかし、遠かったです。来年は 鹿児島県霧島11/25-27だそうです。参加できるのかどうかまだ不明です。

学会ホームページはこちら↓です。会員常時募集中です。
http://www.sangakushugen.jp/index.html


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