長賢?
宝治元年(1247) 、承久の乱で敗れ配流先で亡くなった後鳥羽上皇の霊を慰めるために建立されたという鎌倉鶴岡八幡宮寺の今宮(新宮)。当所には後鳥羽の誕生時から後鳥羽を宗教的に護持してきた長厳と順徳上皇もともに祀られていたらしい。あきらかに祟りを畏れての事。
ところで、『吾妻鏡』では複数個所で「長賢」になっていてここの石碑でもそうなっているのが不思議。京都や熊野の史料では「長厳」で、熊野三山検校、新熊野社検校、石山寺座主、大僧正という要職に就いた仁和寺出身の真言宗僧(『朝日日本歴史人物事典』は間違えて園城寺出身の天台宗僧としてしまっています)であり修験者。天台宗園城寺系の熊野三山検校が多い中で、後鳥羽の強い引きで熊野三山検校の地位を手に入れた修験道史上有名人。
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