134ページの写真「里山伏の末裔の家に伝わる切紙」
これは厚木市下荻野にあった修験寺院 光善院(本山派、小田原玉瀧坊霞下)に伝来した寛政2年(1790)の史料で、厚木市郷土資料館(現在はあつぎ郷土博物館にリニューアル)が2002年に行った企画展「相模の修験者」で展示されていたものです。もと館長の大野先生から写真を送って頂きました。各種の護身法(行者が身を堅固に守護する呪法)が伝授されていたようです。
この前後のページも見てみないと全体がわかりづらいのでそのうち拝見したいなあと思っていて、大野先生には先日お願いの電話をしました。
---------------------------------
唵 ソテイザ■リ(?) 以上五印 真言一度
次 九字印
一 二 三 四 五 六 七 八 九
臨 兵 闘 者 皆 陣 烈 在 前
以上九印 一印ニ一字ヅゝ唱フ
右ノ一ヨリ九マデ印結ビヲワツテ九字ノ
前ノ字ノ印ニテドゞメ左ノ鞘ノ中へ種
々ノ祈願ヲコメ鞘ノ下ヘアテタル刀
印ヲ鞘ノ手ノ上アテ替テ蓋ヲシタ
ル如クカタクヲサエソレヨリ右ノ刀印
ヲ宝釼トミナシ一ニ三ノ圖ノ如ク三度
クリカヘシ刀印ニテ切ルナリ
次 金剛縛印 真言口伝 六字明王咒唱
オンギャチギャチギヤビチカンチタチ
バチソワカ
天竺ノ天ノフリナワヲロシタマヘ印ヲ結ヒ
タルマゝ中央左右ト一度ツゝ押スベシ
次 護身印真言
ニ手内相又右押左ヲ堅ニ中指ヲ屈シテニ頭ヲ
如釣形於中指背勿令相着並大指押無名
指印五処額右肩左肩心喉散頂
オンハジラギニハラジツハダヤソワカ
---------------------------------
最後の真言は、被甲護身の真言で、現代で一般的に使われている発音とは違う模様。昔は流派によって多様に発音されていたのだと思います。例えば「ハジラギニ」は現代の真言宗のテキストなどでは「バザラギニ」と表記されていますが、もとはサンスクリットの"vajra agni"(「金剛」(ダイヤモンドのように堅固な)「火の神アグニ」)なので、この切紙の発音の方がインドの発音に近いと思うのですが。
その前の六字明王の真言は、梵字マントラで書いてあるのが珍しいのでは?六字明王そのものは11~12世紀の白川院政期に上皇の周辺で創造された純日本産の尊格らしいのですが、怨敵からの難に対抗することが出来る呪文は漢訳経典のいくつかに「佉知佉注佉毘知緘寿緘寿多知波知」として伝来していたようです。ただこの呪文を唱える時の本尊を六字明王としていたのは真言宗の中の限られた一派(小野勧修寺流)だけだったらしいです(上川通夫「『覚禅鈔』「六字経法」について」『愛知県立大学文学部論集』54巻 2006 参照)。
それが江戸時代には荻野の天台宗系の山伏さんにも伝わっていたぐらいポピュラーになったのでしょうか。これも発音は濁らず「キャチキャチュウ・・・」の方がもとの発音に近いんでしょうか?
六字明王のお姿はなかなか変わっていて『大正新脩大藏經図像部第3巻』(SAT大藏經テキストデータベース研究会「SAT大正新脩大藏經テキストデータベース」https://dzkimgs.l.u-tokyo.ac.jp/SATi/images.php?vol=03)でも閲覧できます。
« 大山の小字地図作成 | トップページ | 136ページの絵「かつて各所の御嶽神社の祭神だった蔵王権現」 »
コメント