125ページの写真「現在の八菅山遠望」
中津地区から八菅山を展望すると奥に経ヶ岳が望めて、手前には八菅山光勝寺の結界とも考えられる中津川、昔から好きな景観なのですが、解像度の高い良い写真を撮っていなかったのでこの程度で申し訳ない感じです。
自分の高校時代の剣道部の主将が中津の熊坂君だったので、中津地区にはたまに訪ねることはありましたが、八菅山についてはかつては正直あまり意識していませんでした。それが、俄然、注目することになったのは、神奈川ヒマラヤ登山隊長だった広島三朗さん(地理学)の影響です。
当時、『地球の歩き方 パキスタン編』(ダイヤモンド・ビッグ社)を一人で書き上げていたほどのパキスタンの専門家で、その他にも『神奈川県の山』『山が楽しくなる地形と地学』(山と渓谷社)、『K2登頂幸運と友情の山』(実業之日本社)など、登山家ながら執筆活動にも熱心で、一度退職してK2に登って来てマスコミに英雄的に評価されたのを活用してまた神奈川県の教員に戻るという離れ業をやった伝説の高校教師です。
相模台工業高校の職員室で机を並べていろいろな事を教わり、特に野外フィールドワーク授業のノウハウは感動すら覚えました。広島さんが、職員室で授業の合間に出版社向けの原稿を周囲の眼など気にもせず書きまくっていた時、「丹沢のガイドブックに歴史情報も書き加えたいんだけれど、城川さん、日本の宗教思想史専門だったら八菅や丹沢の山伏について調べといてよ」。その言葉が遺言のようになりました。その年1997年(平成9)夏、ヒマラヤ遠征で、登頂成功後のベースキャンプを大きな雪崩が襲い、隊員の仲間とともに亡くなりました。合掌。
それから20年後、第38回日本山岳修験学会山北・丹沢学術大会(2017)で「聖護院蔵『相州八菅山付属修行所方角道法記』と入峰空間考」というタイトルで研究発表をいたしました。その内容は「「相模の国峰」再考-相州愛甲郡八菅山付属修行所方角道法記』と『相州八菅山書上』」(『山岳修験』第62号)という論文になっています。
広島さんの遺言の約束を一つ果たしたような気がしたのでした。
ところで、今年3月5日から予定されていた日本山岳修験学会第41回 富士山学術大会が諸般の事情により残念ながらオンライン開催に変更されました。その研究発表の中に5年前の自分の発表と全く同じタイトルを発見!びっくり仰天、しかも和歌山熊野の山本先生!とても楽しみです。ただ、発表日の3/6(日)は万象房の仕事をしながらになってしまったので、拝聴出来るかどうかが微妙なところです。
☆3/2追記:同じタイトルだったのは学会事務局の作業ミスによるものと判明いたしました。山本先生のご発表正式タイトルは「那智参詣曼荼羅再考」でした。どうも以前の書類を上書きしながら作業をしているうちに5年前の私のタイトルが残ってしまっていたらしいです。拍子抜けいたしました。
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