114ページの写真「竜ヶ馬場から見た大山」
文化2年(1805)に佐藤さんが大山を遥拝した辺りは、日向山霊山寺(伊勢原市)の山伏は入峰修行の中で「竜ガ馬場」と呼んでいました。佐藤さんは気付かなかったのかもしれませんが、ここに龍樹菩薩が祭られて碑伝が納められていたようです。日向山伏の常連坊が書き残した『峯中記略扣』には、尊仏岩の次の行所としてこうあります。
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是ヨリ登リ龍ガ馬場也此所百間程ノ長サニ而広ハ五間位ノ馬場ノ形也此中所ニ竜樹菩薩ノ尊有是ニ札納而モ此馬場ニ而竜樹ボサツ馬ニ御ナリ相成候ト云伝也
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馬の話が出てきますが、これはもちろん信仰上の神話です。山伏たちが名付けた地名が現代の登山地図にそのまま使用されている例は本書で紹介しています。この写真は2005年4月6日の昼前に撮影したデータ記録になっています。当時持っていたカメラが安物なので画質はイマイチですが、本書で使った写真にフォトショップでつなげてパノラマ写真も当時作ってあったのでここではそれを掲載します。
ところで、まず馬が登って来られそうにないところに「馬場」がつく地名が多いのは北陸の白山だと思います。『白山山頂遺跡群調査報告書』(石川県白山市教育委員会、2011)によれば、まず山頂へ向かう3本の禅定道(登拝ルート)の始点が「美濃馬場」「越前馬場」「加賀馬場」。山中では、美濃禅定道には「南竜ヶ馬場」、越前禅定道には「相撲の馬場(仕舞の馬場)」、加賀禅定道には「北竜ヶ馬場」。山中の「馬場」地名とその神話は中世山伏の広域修行ネットワークを通じて丹沢山地にも運ばれて来たんだろうと思っています。
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