117ページの写真「秦野市堀西から見た塔ノ岳と丹沢表尾根」
子供の頃、冬になれば毎年見ていた当たり前の景色。特に河岸段丘の森に囲まれた四十八瀬川からの景色は格別です。
1960年代の四十八瀬川にはまだ清流魚のカジカがたくさんいました。夏休みには水中眼鏡と銛とお醤油を持って川に行き魚を捕まえて、川べりの焚火で焼いて食べたりもしました。上流にあった釣り堀?養殖場?から逃げて来たらしいニジマスを見つけて皆で懸命に捕獲作戦をしたこともありました。ヤマビルなんてまだ一匹もいなかった時代です。
秋になれば秦野西小学校の図画工作の野外授業でよく四十八瀬川に写生に出かけました。紅葉の森とその奥にそびえる丹沢山地を必ず描かされたように記憶しています。そして、冬になれば、稜線に近い上の方からだんだんと雪で白くなっていきます。今よりも積雪が多かった時代です。
小学校の校歌にも中学校の校歌にも歌詞の中に「四十八瀬川」がありました。特に秦野西中学校の校歌は、地元出身の歌人・国文学者 谷 鼎(たにかなえ)の作詞です。子供の頃からの見慣れた風景を念頭に置いて詞を書いたのだと思いますが、「丹沢」は出てこない。当たり前すぎて必要なかったのかもしれない。
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秦野西中学校校歌
作詞:谷 鼎 作曲:吉岡孝之
近くあふりね遠く富士 高きわれらの希望ぞと
日毎あおぎてふるいたつ 若き力は今ここに
四十八瀬の川の音 清きわれらの心ぞと
日毎聞きつつ励み行く 若き力は今ここに
仁者は山を楽しむと 智者は水をば楽しむと
麗しきかなこの自然 たのまんかなやこの大地
新しき世をおこしては 世界の平和打ち建てん
自主協同を志す 若き力は今ここに
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