106ページの写真「方広寺の鍾銘」
国重要文化財(美術工芸品)として指定されている方広寺の梵鐘(京都市東山区)は、高校日本史の教科書や資料集にも写真が掲載されていて、修学旅行で訪ねた方も多いと思います。総高は4mを超える巨鐘。我々が関東で大きいなあとびっくりする円覚寺(鎌倉)の梵鐘の総高が2.6m、増上寺(港区)が3.3mなので、大きさのレベルが一回り違います。当時の豊臣家の勢力の象徴として一度実見する価値はあります。しかも近くから銘文まで読めるし、ご丁寧に白いチョークで徳川家康がケチをつけた文言が囲われていました。
『日本の美術 No.355 梵鐘』(至文堂、1995)によれば、慶長19年(1614)、京都三条の鋳物師を棟梁に、駿河、江戸、伊勢、播磨、大和、河内など各所の有名鋳物師11人が脇棟梁を勤め、総勢3100余人によって鋳造されたそうです。
この写真の撮影は2017年4月11日。満開の桜と芽吹きの季節を迎えた久しぶりの京都でした。聖護院門跡に現存する『相州愛甲郡八菅山付属修行所方角道法記』の閲覧が主目的で、ついでにあちこちフィールドワークをしました。その時の日記レポート↓
https://banshowboh.cocolog-nifty.com/blog/2017/04/post-2184.html
https://banshowboh.cocolog-nifty.com/blog/2017/04/post-4a29.html
本書でもご紹介した「杉本坊周為・雑務坊源春連署書状」(住心院文書)から慶長年間の相模大山の大変革と徳川対豊臣の対立には何か連動するものがあるんじゃないかなあと感じていた次第です。
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