92ページの写真「野津田薬師堂の森と薬師池」
野津田薬師堂(普光山福王寺)に隣接するこの薬師池周辺は、薬師池公園を中心に、ぼたん園、南園、リス園、ダリア園、西園、北園、七国山を含んだ「薬師池公園四季彩の杜」として町田市が整備に力を入れているエリアです。町田市には珍しい観光名所に成長中と言っても良いかもしれません。
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ここも、行基が薬師如来像の良材を探し回ったという縁起の舞台、野津田薬師堂の森です。ここでも『普光山畧縁起』(元亀四年 1573)のその部分の原文を以下引用します。
※ 翻刻は、武者小路穣『ものと人間の文化史41 地方仏』(法政大学出版局 1980)に掲載されています。
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・・・(前略)・・・
今より後、衆生利益の誓願を満ぜんとならば、我生身の像を雕りて、微妙浩■を末世に残すべし、ニ利の福田何事か是にしかんやと言ひ終て、光を放、東方に化し去りたまひぬ、
行基不思議の瑞応を感じて、礼拝讃呼して、既にして椿葉・梅葉・白檀葉とをもみて空に抛て誓ていわく、樹葉の至る所におもむひて、薬師の尊像を雕り安置し奉んと、其至所を尋、我日域に数千の如来を造立したまいぬ、然るに彼の樹葉も飛去り、昼夜普光を放ければ、扨こそ普光山とは名づけたまふ、
已尊像を刻んとするに良材なし、爰に弁財天女と稲荷大明神数尺の槁木を持し来ていわく、此良材は、昔天竺優塡王釈尊の像乞ひ奉、栴檀の瑞像を雕りし其端也、尊者の誠情を感じて神身を運て取来れり、行基是を得て勧(ママ)喜而、ニ神に盟ていわく、此像既成せば、■(「亦」の下に「火」)此に当りて擁護をたれたまへと、今に至て当山の北に唐山稲荷、東の池水の辺に弁才天の社有は是に依て也、
・・・(後略)・・・
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ここでも、熊野本宮湯峰温泉で病人に変装したお薬師さんを助けた行基さんは椿・梅・白檀の葉っぱを投げるのです。そして葉っぱがたどり着いたこの森で薬師像を作る木材を探します。でも良い木が見つからないのです。するとやっぱり2人の神様が、優塡王に由来する良い木材を持って来て助けてくれるのです。
日向薬師(伊勢原市)も野津田薬師(町田市)も温泉ではないのに、熊野本宮湯峰温泉(和歌山県田辺市)の宣伝物語りの同じストーリーを使っているのです。中世の熊野の影響力恐るべしです。
前回同様、その辺の事情にご興味のある方は、拙稿「『相州大住郡日向薬師縁起』仮名交り文縁起について」(『山岳修験』第67号、日本山岳修験学会、2021)をご参照下さい。
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