88ページの写真「熊野本宮湯峰温泉つぼ湯」
初めてここを訪れたのは2003年9月7日、まだ東牟婁郡本宮町(現在は和歌山県田辺市)でした。その年、聖護院の大峰奥駈修行で新客の山伏として修行させて頂き、最終宿泊地がここ熊野本宮湯の峰の「あずまや」でした。「あずまや」前の道路と湯の谷川を渡ったすぐ目の前が伝説の地「つぼ湯」と東光寺。翌日早朝に早起きした山伏さんたちの中には「つぼ湯入って来たで~」(関西人多いので)とおっしゃっている方もいました。
自分は山伏修行が無事終わる安心感で「あづまや」の温泉で満足してしまっていて、しかも不覚にも「つぼ湯」の文化的重要性がまだよくわかっていなかったため入りそびれました。残念。普段は待ち時間1時間以上が珍しくないらしいです。
この写真を撮影したのも、自分ではなく当時同行だった東北大学大学院の伊藤さん。「小栗判官蘇生の地」の碑文と、一緒に修行していた山伏さんの写真、目の付け所がさすがです。それは以下の説教節『小栗判官』の語りからピンと来ます(東洋文庫『説経節 山椒太夫・小栗判官他』平凡社 1973 から引用)。
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大峯入りの、山伏たちは、百人ばかりざんざめいて、お通りある。この餓鬼阿弥を御覧じて、「いざ、この者を、熊野本宮湯の峯に入れて、とらせん」と、車を捨てて、籠を組み、この餓鬼阿弥を入れ申し、若先達の背中に、むんずと、負ひたまひ、上野原を、うつ立ちて、日にち積もりて、見てあれば、四百四十四か日と申すには、熊野本宮湯の峯に、お入りある。なにか愛洲の湯のことなれば、一七(1×7)日、お入りあれば、両眼が明き、二七(2×7)日、お入りあれば、耳が聞こえ、三七(3×7)日、お入りあれば、はやものをお申しあるが、以上、七七(7×7)日と申すには、六尺二分、豊かなる、もとの小栗殿とおなりある。
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