73ページの写真「江戸時代の大山道の道しるべと不動明王像」
大山道の道しるべは南関東各所に現存していますが、総高224㍍のこれはその中でも指折りの立派な道標で、煤ヶ谷の飯塚利行先生(清川村文化財保護委員)曰く「保存状態や彫りの深さから現存するものとしては一番である」という見立てもまさにその通りと納得できます。
不動明王を本尊とする大山を目指していた道しるべには不動明王像が載っていることが珍しくないわけですが、そのお姿は大山寺本尊の瑟々座に座る大師様という様式を必ずしもコピーせずにそれぞれ自由に造形されているような気がいたします。どなたか不動明王像だけチェックしてまとめてみてくれたら良いのに(と勝手なお願い)。このお不動さんは台座が存在感十分の岩座、頭髪は大山寺ご本尊の弁髪系ではなく十九観パンチパーマ系に見えます。そして宝剣がやたら太い、身体も指も眉も鼻も太い。何とも言えない土着的な魅力を醸し出しています。最近は赤いお帽子をかぶっていらっしゃるのが微笑ましいです。
なお、この石造物は単なる大山道道標というだけでなく、建立者の残した巡礼記録文書も含めて18世紀日本の複合的文化情報(巡礼者の諸相・出稼ぎ石工の存在など)を現代に伝えていて大変興味深いものでもあります。詳細は『清川村史』(2017)を参照して頂くか、相模国霊場研究会に参加してもらって飯塚先生に聞くと色々と教えてもらえるはずです。
この石碑の碑文
※見えないところは飯塚利行「杉山八郎左衛門重国六十六部廻国成就供養塔と大山道道標」(相模国霊場研究会発表レジュメ 2020 11/2)と『清川村の野立ちの石像群』(清川村 1976)から引用。
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(正面)
みぎ 大山道
(右面)
天下泰平國々修行船河道橋宿々等
大乗妙典六十六部日本廻国大願成就供養塔
國家安全 大小志施主現当二世安楽菩提也
(左面)
于時明和元甲申稔(1768)九月吉辰
誓 運
當所大野村杦山氏産
俗名八郎重国
(裏面)
信州高遠城下大石庄蔵彫之
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