59ページの写真「吉野と蔵王堂の周辺(奈良県吉野町)」
吉野と言えば、7世紀の吉野離宮以来、数々の歴史的大事件の舞台でもあり、日本を代表する歌枕の地です。しかも大峰奥駈道の起点終点として山伏にとっての重要な聖地、つまり全国にある「蔵王」や「御嶽・御岳」といった地名の発信地であります。そして古代以来の桜の名所です。
一生に一度で良いから桜の季節に吉野に行ってみたかったのです。2003年の4月、聖護院の葛城修行を終え京都に戻った後、一人で吉野まで遠征フィールドワークに出かけました。近鉄吉野線吉野駅を降り立つと雨でした。
蔵王堂にお参りして、時間の許す限り大峰奥駈道の入口まで登ってみようと上千本まで登ってくると奇跡的に雨が上がり、満開が近付いた中千本の桜がまだ咲き始めの上千本から見渡すことが出来ました。
そして、山の端に残った雨上がりの雲が向こうに見えました。
この歌の世界でしょう!
◆「おしなべて花の盛りになりにけり 山の端ごとにかかる白雲」(西行『山家集』平安時代末)
どこもかしこも花盛りだ。どの山の端にも白雲がかかっている。
◆「吉野山梢の花を見し日より 心は身にも添わずなりにき」(〃)
吉野山の花をはるか遠くから望み見たその日から、私の心は花でいっぱいになって落ち着かない。
◆「もろともにあはれと思へ山桜 花よりほかに知る人もなし」(行尊『金葉和歌集』平安時代後期)
山桜よ、私がお前を美しいと思うように、お前も私をそのように見ておくれ。ここ大峰山中では、修行する私の心を知る者はお前の他にいないのだから。
解釈は全部西澤先生のご著書からの引用です。西澤美仁『西行 魂の旅路』(角川学芸出版社 2010)。以前、この本知ってる?と西澤先生から直接勧められたのですぐ購入して重宝しています。
« 58ページの楽譜「大峰で現在も唱えられる六根清浄の一例」 | トップページ | 60ページの写真「大山と平沢御嶽神社の参道」 »
« 58ページの楽譜「大峰で現在も唱えられる六根清浄の一例」 | トップページ | 60ページの写真「大山と平沢御嶽神社の参道」 »
コメント