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2021年7月12日 (月)

53ページの地図「方角行所地図」(聖護院蔵『相州愛甲郡八菅山付属修行所方角道法記』より)

P53_hougakugyosyo_map

八菅山光勝寺が江戸時代に本山だった京都の聖護院に提出した『相州愛甲郡八菅山付属修行所方角道法記』については、2018年の私の論文「「相模の国峰」再考-『相州愛甲郡八菅山付属修行所方角道法記』と『相州八菅山書上』-」(『山岳修験』第62号)に全文を活字化して掲載しておりますので、ぜひ読んで頂ければと思います。まだ岩田書院で販売されています。また、神奈川県内丹沢山麓の市町村図書館や県立図書館にはあるはずです。

京都まで出張して『相州愛甲郡八菅山付属修行所方角道法記』を初めて目にしたのは2017年4月の桜が満開の時でした。緊急事態宣言下のこんなご時世では、遠くまで出かけた調査フィールドワークで目にした風景が無性に懐かしく感じられます。その時の日記ブログ↓
https://banshowboh.cocolog-nifty.com/blog/2017/04/post-2184.html

こんな古文書が見つかったのも首藤善樹先生の調査とご研究のたまものです。なんと33年間も聖護院の古文書を調査されたそう!昭和52年(1977)から平成22年(2010)までです。八菅山伏についてさらに深く知りたい方は首藤先生のこの2冊も必読ですぞ。首藤善樹『修験道聖護院史要覧』(岩田書院 2015)、同『修験道聖護院史辞典』(岩田書院 2014)。あとがきにこのようなことも書いていらっしゃいます。
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 最初の印象は、何十畳もある広い部屋に古文書が乱雑に山積みにされ、その気力が萎えるほどの分量を見て、どうすればいいのだろう、今後はどうなるだろうということであった。

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この中に『相州愛甲郡八菅山付属修行所方角道法記』もあったのです。

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