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2021年6月15日 (火)

48ページの写真「大善寺(山梨県勝沼市)の藤切」

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現在「ぶどう寺」とも呼ばれる大善寺も平安時代初期の薬師如来を本尊とする古代から続く寺院です。別当が新義真言宗となっていた江戸時代にも山内には天台宗系の宗教者も所属していて中世的な一山寺院組織の様相が残っていたようです。そして鎮守は五所権現でした。Katsunuma_ohtaki20060509_20210615223401Katsunuma_kohfu20060509

2006年の5月9日、勝沼の大滝にも行ってみたかったので、藤切の祭礼に間に合うように大滝不動から登って甲府盆地を右手にみながら宮宕山を越えて大善寺まで山越えしてみました。大善寺への下りがとても急斜面でした。その後知りましたが、東日本を代表する柏尾山経塚(白山平経塚)のある稜線はこの尾根筋ではなく東側の別の稜線でした。

『甲斐国志』には大善寺は詳細に説明されています。一部引用します。
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一 柏尾山大善寺
真言宗新義檀林七ヶ寺ノ一ナリ自性院ト号ス 城州醍醐山報恩院ノ末 御朱印寺領三十二石六斗余 柏尾村ト称ス古文書ニハ柏尾寺又かしはおの山寺トモ見エタリ 寺境ニ万三千五十坪山林東西十五町十間南北八町余 ……
… 表門…/二王門…/金堂…/鐘楼…/神変堂〔役行者堂也……役ノ小角自作ノ肖像也元ト御坂嶺上ニ在リ…〕/裏門…/鎮守五所権現社〔熊野三山伊豆箱根〕…/ 別当大善寺…/楼門……
… 三枝ノ先祖五所宮者承徳元丁丑(1097年)四月初メテ祭ル …
塔頭六坊 光明院〔無住〕 正覚院〔無住〕 遍照院〔無住〕 玉善院 一乗院 正蔵坊 以上本山派ノ修験ナリ 御朱印ノ内毎院千五百坪配分 口十七〔男六女十一〕馬一 末寺……

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そして、山内の山伏が担当した「藤切」についても簡単な説明があります。
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毎四月十四日祭礼舞台ニテ児子舞(チゴマイ)衆徒剣舞等アリ 庭上ニ三丈許ノ柱ヲ建テ藤蔓ヲ縄トシ之ヲ纏ヒ修験者一人柱ノ上ニ攀テ修法シ終テ剣ヲ以テ其ノ縄ヲ両断トナシ地ニ墜スヲ香花群集ノ人噪立テ左右ニ之ヲ引キ勝負ヲ争コトヲ旧式トス〔或勝負ニ因リ年内ノ吉凶ヲ卜ストモ云〕之ヲ柏尾ノ藤キリト謂 七覚山ノ祭祀ニモ此式アリ彼所ニテハ真裁ト唱フ
〇回国雑記〔文明十九年聖護院宮准三后道興ノ道ノ記也〕かし尾といへる山寺に一宿し侍りければ住持のいはく後の世のため一首をのこし侍るへきよししきりに申侍りけれはたちながら口にまかせて申つかはしけるかし尾と俗語に申ならはし侍れとも柏尾(カシハヲ)山にて侍るとなん
  かけたのむ岩もとかしはをのつからひとよかりねに手折てそしく

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