51ページの写真「葛城入峰の拠点中津川行者堂の護摩壇」
2003年(平成15)4月6日に初めて中津川行者堂に行きました。当時は和歌山県那賀郡粉河町中津川、近隣の町が合併して紀の川市が成立する前でした。聖護院の葛城修行。
神奈川県を早期退職したのが3月末日だったので、退職直後でした。前日に予定されていた友ヶ島修行が、春の嵐で船が欠航となり急遽予定変更、雨の中、紀三井寺巡拝に変わりました。友ヶ島修行をどうしても体感してみたかったのでとてもがっかりした記憶があります。もちろん紀三井寺(金剛宝寺護国院)も規模の大きい見どころのたくさんある素晴らしい観音霊場でした。
4月5日の夜、山伏衆は粉河寺門前の旅館 三笠館に宿泊、早朝から粉河寺諸堂を巡拝、主要なお堂の一つ一つで法螺・礼拝・真言・読経を繰り返します。それから紀ノ川の支流中津川を北にさかのぼって和泉山脈を標高300mほどまで登ると、中世の古い時代から続く葛城修行の聖地 中津川行者堂・中津川経塚・熊野神社があります。行者堂の前庭では11時から採灯大護摩供。この写真は護摩修行が終って山伏の餅まきが始まる前だと記憶しています。同行だった緋色の結袈裟の老山伏さんがお一人で印を結びながら祈祷していらっしゃいました。
中津川にも役行者に仕えた前鬼・後鬼の子孫と伝わる五つの家柄(「五鬼」)の方々が住んで伝統を守っていらっしゃいます。ただ、残念なことに1990年には平安仏を含む仏像数体が盗難に遭い、2011年には役行者・前鬼・後鬼像も盗難に遭うというという大事件がおきていて、和歌山県立博物館は2011年に中津川の文化財についての企画展を開催し、また同時に盗難文化財についての情報提供を呼び掛けています。
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https://www.hakubutu.wakayama-c.ed.jp/nakatugawa/nakatugawa-zuroku.pdf
2020年には日本遺産として「葛城修験-里人とともに守り伝える修験道はじまりの地」が認定され、中津川はその重要な構成要素となっています。
https://katsuragisyugen-nihonisan.com
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