この地図に示した中で、山梨県甲府市右左口(うばぐち)町の円楽寺については、江戸時代の公的な地誌に儀式の様子がかなり細かく記録されているので以下に引用します。
『甲斐国志』(文化11年:1814)は、19世紀初頭の江戸幕府の内命に応じて編纂されたと言われている地誌の一つで、武蔵や相模の『風土記稿』や『御府内備考』に先立つものです。
この地誌は、神社と仏寺を分けて章立てしているので、江戸時代の神仏習合状況の中では同じ行事が「神社部」と「仏寺部」の両方に記録されています。つまり、円楽寺という一山寺院組織の中に、さまざまな仏堂や神社があり、トップは新義真言宗でも、この組織には天台系本山派の山伏も真言系当山派の山伏も神職も関わっていたようです。中世以前の宗派がまだ確定していない時代には皆この一山組織の構成員だったのではないでしょうか。なお、「相川日向」という神職が出ていますが、この名前からして江戸時代以降と思われるので、もとの身分は何だったのでしょう?
因みに、円楽寺には日本最古の役行者像(平安時代後期~鎌倉時代)が現存しています。
柱を立てて山伏がよじ登る儀式が行われていたのは円楽寺五社権現(五所権現)社の神事です。
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『甲斐国志』巻之六十一神社部第七 巨摩郡中郡筋
一 五社権現〔右左(ウバ)口村七覚〕)
円楽寺 御朱印山内ニ在リ〔方二町余〕 一村ノ土神トス 熊野白山金峰伊豆箱根五社ヲ配祀ス 勧請ノ初メ詳カナラス
正殿〔梁間二間桁間六間檜皮葺〕拝殿〔梁間四間桁間八間茅葺〕東面ナリ是レヲ上宮ト云フ
下宮ヲ王子権現ト称ス 北ノ方山足ニ在リ 相距ルコト一町余所祀ル三神〔神号不詳〕
正殿〔梁間九尺桁間三間〕拝殿〔梁間三間桁間五間〕亦東面ナリ
毎歳四月十五日五社権現下宮マテ神幸アリ 本山山伏先達松雲院〔府中和田平町ニ住ス〕其他本山当山ノ山伏数十人役ノ行者富士山へ初入ノ式ト云事ヲ為ス
祠官幣帛ヲ執テ別当円楽寺ト同ク供奉シ下山ノ神輿ヲ仮屋ニ安置シ祝詞ヲ宣ヘ神楽ヲ奏ス
又真木切ト云事アリ〔藤切トモ云長サ二丈八尺ノ柱ニ柴ヲ著ルコト廿八箇所結フニ藤蔓ヲ以ス二十八宿ニ表スト云 十三日ノ夜 下宮ノ庭前二建置ク〕
闋(ヲワリ)テ後 当山山伏ノ先達一人百足丸ト云長刀ヲ帯シ真木ノ頂上二攀登テ護摩ヲ焼キ刀ヲ抜テ第一ノ藤ヲ切ル〔真木切ノ山伏ハ一七日前ヨリ心経寺不動瀑ニテ潔斎ス〕
土人是ヲ七覚御幸ト称ス
古諺ニ七覚御幸ハ十五日平(ヒラ)メ団子ハ喰ホウダイト云リ〔農人ハ季春ヨリ〆漸ク食ニ匱シ此ノ頃ニ至レハ已ニ麦毛熟スルユエ喜テカク云 ホウダイハ随意ノ方言ナリ〕
祠官相川日向 修験松雲院 御朱印地内各五石配当ス
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『甲斐国志』巻之八十仏寺部第八 巨摩郡中郡筋
一 七覚山円楽寺〔右左口村〕真言宗新義檀林七ヶ寺ノ一金剛智院善勝坊ト称ス 城州醍醐山報恩院ノ末寺ナリ 御朱印寺領二十九石五斗余 境内一万二千六拾ニ坪山林アリ 相伝文武天皇ノ御宇 役小角ノ草創 大宝元年卓錫シテ初テ不盡(フジ)登山ノ路ヲ啓クト云〔富士ノ北麓ニ所祀役ノ行者堂至今円楽寺ヨリ進退之堂領山方八町アリ〕
本堂・・・/客殿・・・/鐘楼惣門・・・/王子権現社・・・/護摩堂迹・・・/五社権現社・・・/役行者堂・・・/六角堂・・・/修楼古迹・・・/五重塔迹・・・/塔頭ノ三刹・・・/外三十二坊古迹アリ
本山先達修験松雲院〔今和田平町ニ居住〕 五社権現ノ祠祝相川日向〔二人御朱印内五石宛配分ス〕
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年中行事 正月三日孔雀明王法 七日行者講 八日大仁王会〔僧十二人仁王般若経講読〕二月八日薬師護摩供 四月十五日五社権現祭礼〔神輿行幸 別当税(ママ)ノ部山伏数十人供奉シ役行者富士入峰ノ粧ナリ 真木トテ長二丈八尺ノ柱ヲ建テ柴ヲ附ケ藤ニテ二十八ヶ所結ヒ先達修験一人攀登リ寺宝ノ百足丸ト云太刀ヲ以伐之 七覚ノ真伐トテ州人為群集ナリ〕五九朔日大般若経転読修行 十一月廿六夜待
回国雑記〔文明十九年聖護院道興准后本州入輿紀行ナリ〇七覚山といへる霊地に登山す衆徒山伏両座歴々とすめる所なり暁更にいたるまで管弦酒宴輿をつくし侍りき宿坊の花やうやう咲き染めけるを見て〕
つぼみ枝の花もをりしるこの山に 七つのさとりひらきてしかな
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加えて、幕末に編纂された『甲斐国社記・寺記』の中にもこの儀式に関わっていた松雲院による興味深い報告書があるのでそれも引用します。
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『甲斐国社記・寺記』(慶応4年:1868)山梨県立図書館 1967
甲府和田平町
明細書上帳 本山修験二十四ヶ院組 松雲院
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除地
一 五百坪余 但当院古屋敷ニ御座候
右者八代郡右左口村分内ニ御座候右地所之義ハ同村円楽寺門前百姓方江貸地ニいたし置候尤年々年貢等請取申候
八代郡総鎮守
一 五所大権現 右左口村分内ニ御座候
右者七覚山と号し候山林勧請有之年々四月十五日七覚御幸と称し神事有之真言宗並神職修験三派立合ニ而修行仕候
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