40ページの写真「福島県喜多方市の新宮熊野神社の長床」
2013年の夏季休業中にフィールドワーク&登山を目的に会津地方に行きました。震災から2年、東北(特に福島県)を応援しようという機運が世の中にあって、自分もそんな意識があったと記憶しています。→その時の日記ブログ。
長床と呼ばれる建築物は、明治時代初めの神仏分離・修験宗廃止令以降は山伏集団も消滅して神社の横長の特殊な拝殿としてのみ説明されることが多いと思いますが、各所の長床が山伏にとっての重要な儀式の場だったことがわかっています。この吹き抜けの建築様式を全国に広めたのも山伏集団と考えるべきだと思います。この長床を拠点にした「長床衆」と呼ばれる山伏集団は、熊野(和歌山県)に限らず、膨大な記録が残っている高野山「天野長床衆」(和歌山県かつらぎ町)、現在も山伏の活動が活発な児島五流「長床衆」(岡山県倉敷市)をはじめ全国にその痕跡があります。
長床で行われていた中世の山伏の修行の一端は、16世紀初めの山伏の教義書『三峰相承法則密記』(阿吸房即伝)にも記されています。
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第四長床次位階級事
正先達者不論度位可座先達柱也。度衆者可随度位。若為同度者可依年﨟為同度同年者可依初入修行遠近。若此三種為同位者可依䦰次第。新客者可随順年﨟。入新客可准度衆。真言修行新客亦同之。但於新客役者堅可勤之也。
※国立国会図書館デジタルコレクション《『日本大蔵経』 第37巻 宗典部 修験道章疏 2》、または京都大学貴重資料デジタルアーカイブ《三峰相承法則 二巻》で閲覧可能です。
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長床内では着席順と座る位置は重要だったようです。まず「先達柱」が決まっていて「正先達」の任にある者は峰入り修行の回数によらず長床内の先達柱に座る。あとは、峰入りの回数にしたがって座る。もし峰入り回数が同じなら山伏になってからの年数(または年齢?)で決める。それも同じなら修行に入った時期が遠いか近いかで決める。それまで同じだったらくじで決める。「新客」は山伏になってからの年数(または年齢?)で決める。入場も(?)新客は「度衆」(峰入り修行経験者)に准じる。「真言修行」(真言を唱える修行?)の時も新客はまたこれと同じ。ただし、新客で役員の者はその役をしっかりやりなさい。
※新宮熊野神社の内部↓
ところで、昨年、神奈川大学大学院で『長床の研究 ―その歴史的展開と祭祀空間―』という博士論文で博士号(歴史民俗資料学)を取得された方がいらっしゃるようです。ぜひ読ませて頂きたく昔の職場の先輩で神奈川大学教授白川先生になんとか読める機会はありませんかねえ?とお願いしている最中です。白井正子さんという方で現役の一級建築士でしかも90歳を超えていらっしゃるそうです!
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