23ページの写真「清川村煤ヶ谷の八幡神社に納められていた碑伝と護摩札」
平成22年(2010)まで清川村煤ケ谷八幡神社に保管されていた碑伝(ひで)と護摩札。神社に侵入した賊によって破棄されたため亡失。
2005年(平成17)4月に調査に伺った時はこの11枚のお札を見つけました。その経緯については、「表紙の写真その6 年代不明の碑伝」に書きました。
今回は、この11枚のうち文字が判読出来る真言宗寺院の護摩札4枚をご紹介いたします。
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(右半分が割れている)
(種字不明)奉修正八幡宮□本地御祈□□□中安全如意満足攸
三 光 寺
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別 當
(種字不明)奉修護摩供 村内安全 如意満足 廿一ヶ座祈處
三光寺
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天下泰平 別當
カンマン(不動明王)奉修護摩供 民運長久 如意満足 祈攸
日月清明 三光寺
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於花蔵院道場
カンマン(不動明王)奉修初行護摩供二坐社頭不朽□(勅カ)中安静如意満足祈所
須海慶尊和南
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先日、日頃お世話になっている飯塚さんに連れられての山帰りに煤ヶ谷の花蔵院(真言宗)さんを案内して頂きました。そこで、有難いことに、もと三光寺の十一面観音立像を拝ませて頂きました。
明治政府から神仏判然令が出されるまでは、この八幡宮の別当(今で言う神主)を務めていたのは花蔵院の末寺だった三光寺の住職(真言宗)です。お厨子の中のお姿を遠くから拝しただけですが、中世のほとけ様らしい風格を感じました。時々、色々なご縁の回り合わせで素晴らしい文化遺産に出会えることがあります。これを仏縁と呼ぶか、研究縁と言うか、修行縁と呼ぶか、仕事縁と言うか、まあ、あまり限定せずに、感謝の気持ちと柔軟なアンテナを大切にし続けたいと思います。
※すでに紹介済みの碑伝についてはコチラ
↓
・表紙の写真その6 年代不明の碑伝
・表紙の写真その7 煤ケ谷八幡神社 八菅山伏の碑伝
・表紙の写真その11 日向山伏の碑伝(23ページ左写真にも掲載)
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