29ページの写真「塩川滝」
塩川滝については、愛川町役場の説明では「滝幅4m、落差約15m。724年~729年の神亀年間、奈良東大寺の別当良弁僧正がここに清流権現を祭ったとの伝承があります。滝つぼ近くは夏でもひんやりとした冷気が漂っています。雨乞いの霊験あらたかな滝であり、八菅修験の第五番の行所でもありました」と説明されています。
実は、八菅の山伏にとってだけでなく、大山の山伏にとっても、この滝を含めた塩川の谷の全体が中世前期にまでさかのぼる重要な行所だったことを本書でも詳しく触れています。
ところで、緊急事態宣言下で中止になってしまった筆者の講演「中世の山伏(修験者)と異界の出入り口 ―山岳マンダラと江ノ島淵―」(2/27予定@あつぎ郷土博物館)の中で、この塩川滝が『新編相模国風土記稿』諸本でどのように描かれているかを見比べて、この4枚の挿絵比較からだけでも、陸軍文庫本が原本でそれをもとに内閣文庫本も鳥跡蟹行社版も雄山閣版も写しているのがわかるのですよ~、というお話をパワーポイントを使ってしようと準備していたのですが。残念。また別の機会にいたします。
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