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2021年1月20日 (水)

16ページの写真「平塚市北部から見た丹沢山地と大山」

P16_ohyama

相模大山がもっとも気高く神々しく拝めるのは平塚からだろうという確信がありました。2004年の晩秋、当時書いていた論文やその後のプレゼン資料として活用できる写真を撮っておこうと早朝から車で平塚に向かいました。通勤ラッシュで道路が混む前に、空気が澄んでいる朝の時間帯にと思ったのです。この写真は朝7時半ごろ。

古代の山岳信仰を考える上で、祈りと信仰の対象である山の景観は非常に大事です。標高の高い丹沢山地の山々よりも低い大山が圧倒的な存在感を見せるのが、古代の国府が存在した平塚。平安時代末頃に大磯の国府本郷あたりに移転するまでの古代国府が最初から平塚四之宮にあったことが近年の発掘調査によって次第に確実視されつつあります。
平塚市博物館「相模国府を探る」↓
https://hirahaku.jp/tenjishitsu/p42-43.html

そこで、平塚市四之宮の遺跡群と大山山頂を結んだ線上から大山を拝めば、古代相模国の大山信仰の景観的要素の一つが見えてくるはずだと考えているのです。ただ、四之宮周辺は市街地となっているので、田村~北豊田の間に広がる広々とした水田地帯を撮影場所に選びました。一時路上駐車もしやすかったのです。
Photo_20210120162801

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