« 2020年12月 | トップページ | 2021年2月 »

2021年1月

2021年1月27日 (水)

17ページの地図「大山の三つの谷」

P16_ohyama_3valley

この地図は、大山信仰と山林修行・古代寺院を考える視点として、かれこれ17年ほど前から各所でのご説明に使用しています。中には、またこの地図かと思っている方もいらっしゃるかもしれません。

地形図の上に文字や線を書き加える作業は、やはりカシミール(https://www.kashmir3d.com)で地形図の必要エリアを画像化して切り取って、その上にフォトショップで追加情報を入れています。ただ、線はマウスの操作で入れるので、なかなか上手くいきません。プロのデザイナーの方々は完璧にやっているのだろうなあ、と思いながら、「あーっ」とか独り言を言いながらこういう作業に時々取り組みます。

2021年1月20日 (水)

16ページの写真「平塚市北部から見た丹沢山地と大山」

P16_ohyama

相模大山がもっとも気高く神々しく拝めるのは平塚からだろうという確信がありました。2004年の晩秋、当時書いていた論文やその後のプレゼン資料として活用できる写真を撮っておこうと早朝から車で平塚に向かいました。通勤ラッシュで道路が混む前に、空気が澄んでいる朝の時間帯にと思ったのです。この写真は朝7時半ごろ。

古代の山岳信仰を考える上で、祈りと信仰の対象である山の景観は非常に大事です。標高の高い丹沢山地の山々よりも低い大山が圧倒的な存在感を見せるのが、古代の国府が存在した平塚。平安時代末頃に大磯の国府本郷あたりに移転するまでの古代国府が最初から平塚四之宮にあったことが近年の発掘調査によって次第に確実視されつつあります。
平塚市博物館「相模国府を探る」↓
https://hirahaku.jp/tenjishitsu/p42-43.html

そこで、平塚市四之宮の遺跡群と大山山頂を結んだ線上から大山を拝めば、古代相模国の大山信仰の景観的要素の一つが見えてくるはずだと考えているのです。ただ、四之宮周辺は市街地となっているので、田村~北豊田の間に広がる広々とした水田地帯を撮影場所に選びました。一時路上駐車もしやすかったのです。
Photo_20210120162801

2021年1月17日 (日)

本日の神奈川新聞に本書の内容の一部が取り上げられ記事になっています。

Img_5143b

『神奈川新聞』は、神奈川県内 + 町田市・八王子市の駅の売店などで購入出来ます。130円です。ご興味のある方はぜひお買い求めの上お読み頂ければ光栄です(私から神奈川新聞への営業協力)。
出ないと思っていた顔写真も掲載されてしまいました。この写真は実物よりちょっと老けて見えるので残念です(よね?)。

新聞記者の方は国会図書館や白井哲哉先生(筑波大教授)にまで取材の手を広げ、この記事を書いて下さいました。白井先生は「新編相模国風土記稿をここまでねちっこく調べた人はいないだろう」とおっしゃっていたそうです(笑)。

本書の140~144ページをぜひお読み下さい。この本は、実は最先端の研究成果に基づいて記述しています。

さらにもっと深く調べたい方へは、テクスト分析をもとにこの内容を含めて色々と論証した研究論文として、拙稿「相模の一山寺院と『新編相模国風土記稿』地誌調書上-大山寺と光勝寺-」(『山岳修験』第65号、日本山岳修験学会 2020)をご紹介いたします。

2021年1月15日 (金)

4ページの鳥瞰図「煤ヶ谷(清川村)と周辺の山々」

P4_chigasaki2000m

茅ヶ崎駅上空2000メートルから煤ヶ谷を中心に俯瞰した鳥瞰図です。

本書は、皆様に手に取って頂きやすいようにハンディーなサイズになっておりますので、鳥瞰図のサイズが小さめです。鳥瞰図につきましては、これも参考にして下さると、現在の地形図に合わせた細かい地形や地理などがわかりやすいと思います。

鳥瞰図を自分で作るようになったのは、2005年に『丹沢の行者道を歩く』(白山書房)を出版するにあたり、山岳考古学研究者の山本義孝さん(現 袋井市歴史文化館 館長)から、この内容だったら鳥瞰図とかを載せたらすごくわかりやすくなるのではないか、というアドバイスを頂いたのがきっかけでした。その時は、出来るかなあ?と半信半疑でしたが、調べてみたら、カシミール(https://www.kashmir3d.com)と山旅倶楽部(http://www.yamatabi.net/main/index.html)という、絶好のソフトとオンラインサービスがあることを知りました。

それ以来、現在に至るまで、講演パワーポイント材料、研究発表パワーポイント材料、職場でのちょっとした地形地理案内などなど、自分にとっては欠かせない仕事道具となっております。

作業は、4万分の一か2万5千分の一か使用地図を決めて、表示したいエリアを見渡せそうなポイントから視点の高さと見下ろす角度を仮表示の鳥瞰図を見ながら、「撮影」して行きます。上から見下ろすと平らに見えてしまうので実際のタテヨコ比よりもタテを2倍ぐらい強調することが普通です。慣れると5分もかからず良い感じの鳥瞰図が出来上がります。「撮影」の画質調節はもちろん、季節や時間を変えて太陽の当たる向きと陰影なども調節できます。

手間がかかるのは、平面地形図上のポイントに、表示したい地名を事前に設定することです。それさえ前もってカテゴリーを決めて保存しておけば、あとは鳥瞰図上に表示される地名ポイントのうち不必要なものは消して必要なものを表示することで簡単に仕上がります。なお、山旅倶楽部のデータには前もって山名情報は入っています。

2021年1月 5日 (火)

4ページの地図「江戸時代以前の相模国と隣接する国々」

Sagaminokuni_map

古代律令制の時代から江戸時代まで使用された地方行政区分の一つ「相模国」の領域は、大雑把に言えば、現在の神奈川県から川崎市と横浜市(南西部以外)を除いたエリアです。横浜市瀬谷区・泉区・戸塚区・栄区のほぼ全域と港南区・金沢区の南部は「相模国」でした。

本書の内容上、現代の神奈川県図ではなく、その「相模国」の白地図が欲しいと思いました。日本全体の旧国図ならあるようですが、もっと詳細な手頃な白地図は見つかりませんでした。もしそういう地図を開発されている方がいらしたら今後のためにも教えて頂きたいと思います。ただ、平安時代と江戸時代でもだいぶ地形も変わっているはずですし、そもそも国・郡の境界は時代によって多少の変動があったものと認識しています。

今回は、開き直って、まだ試験公開中の国土地理院「地理院地図Vector(仮称)」↓を活用させて頂きました。
https://maps.gsi.go.jp/vector/#7/36.104611/140.084556/&ls=vstd&disp=1&d=l

大学教授をしている後輩(かつ友達の弟)でレジャー社会学を研究している土屋くん(もとプロのロックドラマー)がSNSでこれを紹介しているのを家族が見つけてきて、どれどれ自分も活用してみようと思ったのでした。

当然、フォトショップで県境をまず消して国境の線を書き足すのですが、マウス使いの雑で下手くそな作業結果は御覧の通り。おまけに、相模湖・津久井湖・丹沢湖・宮ケ瀬湖などのダム湖、東京・川崎・横浜・横須賀に広がる広大な埋め立て地と港湾周辺施設、などもともと「相模国」に無かったあれこれが地図上に写っております。そこは何卒ご寛恕頂きたくお願い申し上げます。

« 2020年12月 | トップページ | 2021年2月 »

2024年10月
    1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31    
無料ブログはココログ