1ページの写真『御行列』(宝暦7年)の八菅山伏
表紙の写真その5でもご紹介した『御行列』に描かれている八菅山伏。江戸時代に京都の人々が目撃した豪華な山伏パレードの様子を図録として出版したものだと思います。
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・・・(前略)・・・
〇役山伏(八人) 〇役山伏(八人)
〇八菅山(山伏五人) 〇八菅山(山伏五人)
貝 貝
同 同
〇御笈 〇御笈
同 同
〇御閼伽桶(二人)
〇御持貝(二人) 〇御持貝(二人)
〇同(二人)
・・・(後略)・・・
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・・・(前略)・・・
【相州八菅山】
宝喜院
重仙院
覚蔵院
覚養院
圓宥院
山本院
吉野院
右之外坊中有之略ス
・・・(後略)・・・
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・・・(前略)・・・
役山伏衆
八菅山衆
・・・(後略)・・・
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宝暦7年(1757)に京都で出版されたこの『御行列』。この版元(今で言う出版社)がどこでどのように情報を取材したのかはわかりませんが(やはり聖護院からかしらん?)、聖護院門跡増賞(ぞうしょう)親王(桜町天皇の猶子)の大峰入峰修行に供奉した全国山伏の中に、八菅山伏の行列内の位置と人数、そして八菅山から参加した10院坊のうち7人の山伏の名前が記され数人の八菅山伏が描かれているのは大変興味深いです。
このうち覚蔵院と吉野院は文政9年(1826)の『相州八菅山書上』ではすでに退転(廃絶)しています。
まだこの本の全文全画を分析した方はいないので、いつか時間が出来たら分析してみたいと思います。
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