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2020年12月24日 (木)

2ページの写真「秦野市渋沢丘陵震生湖近くからの丹沢の展望」

P2_tanzawa_omoteone

この写真を撮った渋沢丘陵周辺は子供の頃の一番の遊び場です。この景色は秦野育ちの人間にとってとてもなじみのある景色です。

この写真の撮影場所は秦野南地区のエリアになりますが、自分が育った秦野西地区には、当時、小学校は西小と上小の2つのみ(渋沢小も堀川小もまだありません)。中学校も西中だけで、渋沢中もまだありませんでした。西小学校も西中学校もとても広い学区でした。遠足では小学校でも中学校でも塔ノ岳へ登りました。友達との遊び場は、北は登山口の大倉、滝沢キャンプ場あたり、西は四十八瀬川、南は学区内の峠はもちろん大井町の高尾まで足を延ばしました。

四十八瀬川はまだ清流でカジカがたくさんいました。夏は水中眼鏡とシュノーケルを付けて捕まえて焚火で焼いて食べたりもしました。

峠には黄鉄鉱の鉱山跡があって白い粘土と黄鉄鉱を採りに行きました。峠のトンネルは電気もなく真っ暗で舗装されていなかったので凸凹でした。黄鉄鉱は子供にとって「金(ゴールド)」の意味がありました。ところが、帰りに自転車をこいでいるとトンネルの中で「金」をたくさん入れた袋がいつの間にか破れて出口でがっかりというような事件もありました。

大井町の高尾にはハヤ(ウグイ)の群れがたくさん目視できる谷間の清流がありました。ここは秘密のスポットで、誰でも10匹以上釣れるような場所でした。初夏の頃、帰りに山道沿いの木苺(モミジイチゴ)をみんなで争うように食べながら歩きました。もちろん今は堰堤工事や護岸工事でそのスポットは消滅しています。

秋の震生湖にはサツマイモを大量に買い込んでアルミホイルとマッチを持ってみんなで出かけました。湖畔で焚火を起こしてその中にアルミホイルに包んだサツマイモを入れて、焼きあがるまではみんなで「缶蹴り」。焼きたての焼き芋は別格の美味しさだった記憶があります。小学校高学年の頃には父親に表尾根や丹沢縦走に連れていかれていたので、この写真の場所からのだいたいの山名は認識していましたが、「同角ノ頭」はつい最近までわかっていませんでした。

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