表紙の写真その13 『相州八菅山書上』の「霊寶并古書」
「表紙の写真その2」↓でもご紹介した『相州八菅山書上』の中の「霊寶并古書」(霊宝ならびに古書)の部分です。
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霊寶并古書
一 御霊判 一画 神変大菩薩御持物三宝ニ御座候
一 御法鉢 一器 同断
《以上ここには写真なし》
一 御錫杖 一振 同断
一 神変大菩薩 画像一幅
一 左兵衛督源朝臣御加判勧進帳 壱巻 写別紙壱通
一 聖護院宮道増親王御染筆碑傳 一基 竪六尺余
巾一尺余
大峯葛城嶺先達熊野三山検校役君末葉八菅山順礼
唵 天文廿一年 三月廿九日
天台園城傳法智證正嫡聖護院准三宮道増 﨟三十八
年四十五
一 松田僧正碑伝 壱基 竪八尺程
巾 一尺五寸余
秋峯者松田僧正
先達小野余流両山四国邉路斗藪余伽三蜜行人
金剛佛子阿闍梨 長喜八度
唵 正應四辛卯九月七日 以上三人
小野瀧山千日籠熊野本宮長床衆竹重寺別當
生年八十一法印権大僧都顯秀初度
一 海老名季貞守本尊正観世音 御丈七寸余
銅佛
一 地蔵尊六躰 最明寺時頼公御寄附之由申伝候
一 六字名号板壱枚 当国高座郡當麻山之上人当山修行之時
行所納札ニ御座候
一 十一面観音大士 七宿之内瀧本平地宿本尊飛龍権現本地仏
行所宿退転ニ付当山江引取置申候
一 脇指壱振 當国津久井懸根古屋城主内藤左近将監殿奉納
号百足(ムカデ)丸 作名 永和三年六月日備州長船義清
《以下ここには写真なし》
一 大般若経 壱部 元禄年中書写
一 額 一面 聖護院宮盈仁親王御染筆御本書共
額縁凡長四尺余幅三尺余有之
表 八菅山 草書ニ行 裏 文化六年三月十五日
大権現 聖護院二品親王御書判書と有之
以上○寶ニ御座候
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『相州八菅山書上』は文政9年(1826)に八菅山光勝寺が江戸幕府の地誌調所に提出したもので、この報告書をもとに『新編相模国風土記稿』が編纂されました。光勝寺は明治維新の時に廃寺になりました。替わって新しく出来たのが現在の八菅神社です。
現在も八菅神社宝物殿に収蔵されている霊宝の数々が書き上げられています。「神変大菩薩」(役行者)、「左兵衛督源朝臣」(足利持氏)、「道増親王」(実は親王ではなく関白太政大臣近衛尚通の子)、「松田僧正」、「長喜」、「顯秀」、「海老名季貞」、「最明寺時頼」(北条時頼)、「當麻山之上人」(当麻山無量光寺の上人)、「内藤左近将監(内藤綱秀?)」、「盈仁親王(閑院宮典仁親王の子、後桃園天皇の養子)」といった、八菅山に関係する歴史上人物の名前も出て来ます。史実と伝説が入り混じっているようにも思われますが、時衆の上人との関係などまだあまり知られていない歴史もありそうです。
さて、これにてやっと表紙に使った写真13枚が終了。次回からは本書の中の写真をご紹介いたします。
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