表紙の写真その11 日向山伏の碑伝
幕末の文久2年(1862)に日向山伏が行った峰入り修行の帰途、煤ヶ谷八幡神社で行った採燈護摩祈祷の碑伝です。これもその6その7同様、やはり平成22年(2010)に神社に侵入した賊によって破棄されたため亡失。
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文久二壬星 日向山大先達常蓮坊
カンマン(不動明王)奉修峯中採燈護摩供天下泰平國家安穏攸
戌三月吉辰 権大僧都快泉法印同行九人
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日向山霊山寺は、現在の日向薬師本堂を中心に日向山山頂から現在のバス停「坊中」~「日向薬師」周辺の集落すべてを含む大きな寺院でした。つまり、日向の十二神将橋を渡ればすべてが霊山寺の境内です。日向山伏はその霊山寺内坊中に家族とともに暮らしていました。修験宗廃止令以降は全坊が還俗しました。「坊中」とはお寺の院坊の集まりという意味です。
日向山伏は大山・丹沢表尾根・丹沢主脈の峰入り修行を終えた後、蛭ヶ岳から青根に下り、青野原・鳥屋・煤ヶ谷・七沢の各村々で採燈護摩祈祷を行いながら日向まで帰ってきました。
日向山霊山寺と日向山伏については、21~26ページ、35~37ページ、85~93ページをお読み頂けるとありがたいです。なお、日向山伏の峰入り修行の詳しいことは『丹沢の行者道を歩く』(白山書房 2005)でご紹介しています。
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