表紙の写真その12『相州大住郡日向薬師縁起』後段の仮名交じり文縁起
江戸幕府の地誌『新編相模国風土記稿』の中で、日向薬師の縁起として取り上げられてたくさん引用されている縁起です。『相州大住郡日向薬師縁起』前段の最初には江戸幕府地誌調所の蔵書印が押してあります。
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相模国愛甲郡日向山霊山寺者
薬師如来應現の霊蹟行基菩薩
開闢の梵區なり四山屏のことくに
圍て禅室固く冷川常のことくに環て
観月證り除霞ハ山に輝く幡めく幕
ハ天に満て張り境ハ心に随て変す
心垢るゝときハ境濁る心ハ境を遂て
移る境閑なるときハ心朗なり心境
…(後略)…
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この縁起は最近まで長らく見つかっていませんでした。原本は日向薬師の明治時代の火事で焼けてしまい、『新編相模国風土記稿』に引用されている箇所しかわからなかったのです。ところが、何のことはない、国立公文書館に、漢文で書かれた江戸時代の縁起のオマケのように後ろにくっ付いて所蔵されていました。『新編相模国風土記稿』を編纂していた江戸幕府の地誌調所のお役人がちゃんと写本を保管していたのです!
詳しくは、これについての論文を書きましたので、いつかきちんと発表したいと思います。本書では第6章(85~93ページ)でこの内容をご紹介しています。ただ、なぜ「大住郡」ではなく「愛甲郡」なのかは本書ではなく論文に書きましたのでしばらくお待ちを。
くずし字の読解には愛川町郷土資料館の山口研一先生と、伊勢原市文化財保護審議会委員 川島敏郎先生にも大変お世話になりました。
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