表紙の写真その7 煤ケ谷八幡神社 八菅山伏の碑伝
その6同様、やはり平成22年(2010)まで清川村煤ケ谷八幡神社に保管されていた八菅山伏の採燈護摩碑伝。神社に侵入した賊によって破棄されたため亡失。
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天下泰平 寶暦十一 辛巳 年 八菅山
カンマン(不動明王)奉修練採燈大護摩供村内長栄祈所
(※ 左側は割れて欠けている)
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【裏】 (※ 右側は割れて欠けている)
當峯
大先達圓宥院
シリー(仏眼仏母)ボロン(一字金輪仏頂)
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これも清川村煤ケ谷八幡神社に保管されていた碑伝です(23ページ参照)。右端の行は肉眼ではなかなか読みにくいのですが、画像編集加工ソフトでコントラストを変えながら読むとこのように読めました。
江戸時代中期の宝暦11年(1761)の古い碑伝です。裏に「當峯大先達」とあるので、入峰修行中にここで「採燈大護摩供」が行われたのかと推測しますが、日付がわからないので、確証はありません。
この碑伝の変わっているところは「修練」という文言だと思います。『日本国語大辞典』では「修練」は「修養、鍛練すること。人格、技術、学問などを磨き、きたえること」としています。「天下泰平」や煤ヶ谷村の「村内長栄」を祈りながらも、やはり、採燈護摩の練習を兼ねていたのでしょうか?
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