どなたにも手に取って頂けるようにとハンディーなサイズの本を出版いたしました。この本には自分で撮影した写真や作図した図を中心に約100枚を使っています。本のサイズに合わせて写真や図は小さめにしました。でも、一枚一枚に歴史と思い出があります。一つ一つゆっくりとご紹介したいと思います。
http://banshowboh.world.coocan.jp/book2.html
どなたにも手に取って頂けるようにとハンディーなサイズの本を出版いたしました。この本には自分で撮影した写真や作図した図を中心に約100枚を使っています。本のサイズに合わせて写真や図は小さめにしました。でも、一枚一枚に歴史と思い出があります。一つ一つゆっくりとご紹介したいと思います。
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第13回 相模国霊場研究会、また新しいメンバーにご参加頂き有意義な研究会になりました。今回は22名のご参加。新しく、博物館学芸員の方や、山伏修行中の行者さんもいらっしゃいました。面白くなって来ました。
今回の研究発表は
1) 日室 大樹(個人研究〈人文地理・神社巡拝〉)
GISで作る相模国の神社地図
2) 池田 敏宏(高野山大学大学院研究生〈仏教考古学〉)
萬巻上人に関わる覚書ー古代の相模、常陸、下総地域の神仏遺跡の再検証を中心にー
ここの所、やんごとなき事情でお一人だけ発表が続いたので、やっとお2人研究発表で充実の時間になりました。そして、打ち上げは例によって相模大野ガクさんで行いました
。
次回第14回は、来年2026年6月1日(月)です。発表者は、蛯谷康一(相模国修験道)と城川隆生(相模国霊場研究会事務局)の予定です。
第13回 研究会
【日時】
2025年(令和7年) 11月3日(月・休日)
15時開場・会場準備・受付開始
15時20分~18時30分
【場所】
相模原市立 市民・大学交流センターユニコムプラザさがみはら
(小田急線相模大野駅 徒歩2分)
実習室2(前回と部屋が違います)
【申し込み先メールアドレス】事務局 城川(キガワ) ※要事前申し込み(人数制限あり)
【会費】 500円(場所代+事務諸経費)
【研究発表】
1) 日室 大樹(個人研究〈人文地理・神社巡拝〉)「GISで作る相模国の神社地図」
発表者の巡拝した相模国範囲の神社、祠、約5600社の記録を手がかりに、自治体が公開しているオープンデータと合わせ、地理情報システム(GIS:Geographic Information System)を用いて地理空間情報の視覚化。
とはいえ大げさなものではなく「神社の分布」「相模国風土記稿に見える鎮守社」「現代の神社と地域」など普段とは違う視点で気軽に楽しむ「相模の社を巡る」的な神社地図を紹介します。
2) 池田 敏宏(高野山大学大学院研究生〈仏教考古学〉)「萬巻上人に関わる覚書ー古代の相模、常陸、下総地域の神仏遺跡の再検証を中心にー」
箱根権現を開創したとされる萬巻上人は、このほか、常陸国の鹿島神宮寺や、下総国の香取神宮寺の開創にも関与しているとの学説が文献学では定着している。では、物質資料に、その痕跡が認められるのか?
今回は、その可否を考古学的に検証したい。
【懇親会】
終了後、希望者を募って近隣の飲食店で行います。
この図は、大山参りが一番盛んだった頃の、現在の阿夫利神社下社の場所です。当時はここは大山寺本堂(不動堂)。江戸幕府の公式図です。
江戸の火消しの皆さんが「雨降山」だからお参りに来た?江戸時代の大山は門前町を含めて山全体が大山寺ですが、山号を「雨降山」と呼び始めたのは19世紀になってから。それ以前は「阿部梨山」または「阿夫利山」。語源はサンスクリット語の可能性も指摘されています。火消しの皆さんは職業としてはとび職の方々が多かったので、その仕事柄の信仰を説明しないで、雨と火事で説明済ませるか?解説ガイドの人選を間違えてます。
途中、字幕文字で、寺と神社が両方あったような説明文が小さく出ましたが、江戸時代には組織としては寺しかありません。18世紀に、山頂の大山寺本宮(石尊社)の修築工事を担当していた手中明王太郎家が平安時代の『延喜式神名帳』の「阿夫利神社」(アフリノカミノヤシロ)を山頂社に名付け始めて(おそらく権威付け?)から、山頂社のみを「阿夫利神社」と呼び始めました。
詳しく知りたい方は拙稿「相模の一山寺院と『新編相模国風土記稿』地誌調書上―大山寺と光勝寺―」(『山岳修験』第65号、日本山岳修験学会、2020)をお読み下さいませ。
今日のブラタモリ「江戸っ子の大山詣り▼渋谷発・大流行の参詣旅!百年以上続く宿坊」を見て、一つ違和感。「坊中」は「宿坊」が集まって「坊中」ではないだろう?誤解を生みやすい説明だと思う。
「坊中」という言葉は一山寺院の中の院坊群がある場所を指す言葉なので、まだ阿夫利神社がない江戸時代初期に大山寺所属の下山させられた院坊が門前町を形成したから「坊中」なのであって、その院坊群エリアの人々がやがて御師として「宿坊」も始めました、という事ではないのか?
第12回 相模国霊場研究会、無事終了しました。本日のご発表は「半原宮大工集団と神奈川の寺社霊場建築」柳田尚也(湘南盆踊り研究会代表/一社)半原宮大工集団理事)
やんごとなき事情により、今回のご発表は一本。個人的にはご教示頂きたい内容がコンパクトに詰まっていて願ったりかなったりのご発表でした。それぞれの専門ジャンルを超えて、「霊場」という「場」の構成要素にこだわる研究会としては、「霊場」の建築物は欠かせないのです。ありがとうございました。
次回は、第13回、2025年11月3日(日)です。ご発表は、池田敏宏さん(高野山大学大学院)と、日室大樹さん(個人研究〈人文地理・神社巡拝〉)と決まりました。乞うご期待。
http://banshowboh.world.coocan.jp/sagami_study/
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