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2024年3月18日 (月)

出張講演「『大山地誌調書上』に記録された大山の姿」@伊勢原市 雨岳文庫

3/17(日)に伊勢原市の雨岳文庫から講師としてお招きいただき講演をしてまいりました。50人ほどのご参加者が大変熱心に聴いて下さいました。中には、万象房会員の方、相模国霊場研究会に参加している大学院生、伊勢原地区選出の県会議員の方、教育委員会の方、雨岳文庫を拠点に『新編相模国風土記稿』を調査している方々、大山道を踏査している方々、などなど、大山研究に対する意気込みを皆さんから感じた次第。

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公益財団法人 雨岳文庫のホームページはこちら↓
https://ugakubunko.org/ohp/

今回の内容はスライド中心でご説明したので、レジュメはそのうちの省略版になりますが、こちらです。

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私の次回講演会は4/16(火)夜に、「町田グラウス山の会」の会員様対象に行います。

2023年11月30日 (木)

第43回 日本山岳修験学会 霧島学術大会

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鹿児島県霧島市まで出張してきました。第43回 日本山岳修験学会 霧島学術大会(共催:霧島神宮、霧島市教育委員会/後援:鹿児島県教育委員会、宮崎県高原町教育委員会)、11月25日(土)~11月27日(月)。紅葉が美しい霧島でした。

初日から、鹿児島県内唯一の国宝「霧島神宮本殿・幣殿・拝殿」のまさに国宝たる極彩色に囲まれた内部空間を拝観させて頂き、その素晴らしさに圧倒されました。午後のシンポジウムは、まさに二か所の高千穂を擁する南九州ならではの「天孫降臨と霧島」がテーマで、その中でも国指定重要文化財「霧島の神楽ー狭野神楽(宮崎県高原町)ー」の92歳の長老のお話に命をかけてお神楽を守ってこられた覚悟を感じ、感動しました。

2日目の研究発表は、南九州をフィールドにした研究発表が一件のみだったのと、鹿児島・宮崎で昔から地道な研究成果をあげてきた旧知の先生方のお姿が見えなかったのが残念でした。ただ、相模国霊場研究会でともに発起人として運営を手伝ってもらっている武井慎悟さんが若手研究者の新人賞とも言える奨励賞を受賞されたのがとても嬉しかったです。

最終日のフィールドワークは、3コースのうち念願の高千穂峰登拝コースに参加しました。噴火の影響で樹木が育っていないまさに絶景の火山群。朝は雨模様でしたが、登っているうちにどんどん雲が晴れ、地球の恐るべき力を視覚的に体感し、神仏への信仰心が生まれる必然的聖地地形であることを確信しました。

第44回学術大会は来年11月中旬、徳島県で開催されます。日本山岳修験学会は会員を常時募集しています。ご興味のある方はぜひご入会下さい。
http://www.sangakushugen.jp

2023年7月 3日 (月)

徳川家康の姪「万姫」と日向薬師のお話

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現在放映しているNHK大河ドラマを観ていて、3年前の調査研究を思い出しました。

伊勢原市の日向薬師(江戸時代以前は「霊山寺 日向薬師」、明治時代以降は「日向薬師 宝城坊」)には江戸時代に何種類もの縁起(社寺、仏像、宝物などの由来、または霊験などの伝説を記した文書)がありました。

古いテキストは火事で焼失し(でも写しが国立公文書館に現存していてその内容の分析と翻刻は以下拙論でご紹介しました)、長い間、寛文4年(1664)に「松嶋雲居和尚」という人が書いて「菅原氏 光顕院専誉伝守」という人が寄進した縁起が、日向薬師の代表的な縁起として、『伊勢原市内社寺縁起集』や『神奈川県史』や『修験道史料集』で翻刻され紹介されてきました。

ところが、この縁起は、ちょっと的外れの縁起で、あきらかに日向薬師と関係のない人が書いていることが内容からわかってしまう文章でした。でも、今まで、この縁起に関わっている上記の人たちが誰なのかを調べて教えてくれる研究者がどなたもいなかったので、論文を書く都合上、自分で調べてみました。すると、以下のことがわかりました。

寄進したのは、徳川家康の生母 於大の方(現大河ドラマでは松嶋菜々子)と再婚した久松俊勝(同じくリリー・フランキー)夫妻の息子 松平定勝(つまり徳川家康の異父弟)の娘「万姫」。血筋としては徳川家康の姪、そして養女として豊後国岡藩(大分県)主 中川久盛に嫁いで正室。法号は「光顕院殿心蓮社専誉普照伝守大禅尼」。

『伊香保記』という有名な紀行文の作者でもあり、相模大山にも参詣に来ています。当時、中川氏と万姫は熱心な薬師如来信仰を持っていたこともわかりました。そして久松氏の本姓は菅原氏です(日本は伝統的に夫婦別姓で、結婚しても実家の姓を名乗ります)。

そして、この縁起を書いたのは臨済宗の高僧 雲居希膺(うんごけよう/うんごきよう)。仙台藩主 伊達忠宗(伊達政宗の次男)に呼ばれて松島瑞巌寺を再興した人です。

つまり、徳川家康の養女「万姫」という当時最上流階級のお姫様の薬師如来信仰に応じる形でやはり当時有名な臨済宗のお坊様が書いて寄進された縁起だったわけです。

【参考】
拙稿「『相州大住郡日向薬師縁起』仮名交り文縁起について」(『山岳修験』第67号、日本山岳修験学会、2021)

2023年1月23日 (月)

清川村生涯学習課 歴史講座「丹沢山麓の山伏と相模の村里」無事終了しました。

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本日は神奈川県愛甲郡清川村に出張してまいりました。清川村煤ヶ谷と江戸時代以前の山伏との関わりをテーマに講師を務めてまいりました。

明治5年に政府によって山伏という職業が禁止される前の数百年に及ぶ山伏と煤ヶ谷の関りをテーマに各時代の史料をもとに解説。定員を大幅に超える皆様が聴きに来て下さり感謝感激でありました。

このコロナ禍、あつぎ郷土博物館で決まっていた私の講演会が緊急事態宣言やまん延防止措置などで2回も直前に中止になってしまっていたので、久しぶりの講演でした。

終了後は、煤ヶ谷の先輩のお宅で打上げ🍺。飲まされました😵やっとの思いで町田まで帰り着きました。でも、フグちり鍋やフグのから揚げなど何十年ぶりに頂きほっぺたが落ちた状態でお暇いたしました。ありがとうございましたm(_ _)m。

2022年10月24日 (月)

日本山岳修験学会 第42回学術大会@長野県飯田市

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主催 日本山岳修験学会・同第 42 回飯田学術大会実行委員会
共催 柳田國男記念伊那民俗学研究所・飯田市・飯田市教育委員会
後援 南信州広域連合・伊那谷研究団体協議会・南信州文化財の会・伊那史学会・伊那谷地名研究会・風越山を愛する会

研究発表:「三山学頭檀那院胤海と念仏聖」「東日本大震災以降における法印神楽の継承とその課題」「文化観光と修験道—羽黒山を中心に—」「験比べについての一考察」「新しい霊山に集う人々—近代武州日原(にっぱら)白石山の仙人・教祖・行者—」「昭和戦後期の武州御嶽山—生存戦略としての観光化—」「富士山登山案内図の制作と頒布—吉原宿田子之浦絵図の分析から—」「西浦田楽における別当と能衆」「南信州の富士山信仰を探る」「長野県南部・愛知三河の亡霊塔」「文化八年 十六善神図 から検討する秋葉・金比羅信仰の諸相」「英彦山修験道における自然信仰と森林文化再興—鬼杉落枝と千本杉による不動明王像制作—」「和歌森太郎の木曜会加入前における修験道研究」

公開講演:天竜川水系における山岳信仰と修験道
「山岳信仰と景観 —虚空蔵山を中心に—」「東山道と南信州の顕密寺院」「遠山霜月祭にみる修験道儀礼と信仰」

巡検:Aコース(白山信仰の山 風越山(権現山)登拝コース)、Bコース(東山道と南信州の顕密寺院)、Cコース(遠山霜月祭の伝承地)

私は風越山に登ってきました。今までほとんどご縁の無い場所で、全国から参加された研究者の幅広いご発表でした。今回は山岳宗教・修験そのものよりも山岳信仰の諸相のご発表が多いのかなという個人的印象をもちました。

しかし、遠かったです。来年は 鹿児島県霧島11/25-27だそうです。参加できるのかどうかまだ不明です。

学会ホームページはこちら↓です。会員常時募集中です。
http://www.sangakushugen.jp/index.html


2022年10月21日 (金)

信州高遠石工の世界一日フィールドワーク

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本日は長野県飯田で開催される日本山岳修験学会第42回学術大会に合わせて前乗りで伊那市高遠をフィールドワーク。

丹沢山麓から小田急線沿線エリアの江戸時代の石造物・石仏文化のルーツの地の一つともいえる近世高遠石工の生活空間に残る、そして近代現代にも造像され続けた石造物の量と大きさにびっくりし、近世の郷土の偉人として今も尊敬されているスーパー石工たちの存在にもびっくりいたしました。

歴史博物館の学芸員の方も、畑仕事中の方も、犬の散歩中の方も、みな目当ての石造物を親切に教えて下さいました。ありがとうございました。

2022年8月 8日 (月)

フリーア美術館(ワシントンD.C.)ウェブページの『熊野宮曼荼羅』の解説タイトルが間違ってる。

https://asia.si.edu/object/search/kumano
 ↑
「新宮」と「那智」の解説が入れ替わってますよ。

2022年6月 2日 (木)

大山町調査(伊勢原市)その2

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本日も天保6年(1835)『大山地誌調書上』に記録されている石造物を調べに大山町まで出張。大山寺の受付の方と貴重な情報交換も出来て良かったのですが、山から良弁滝のあたりまで下って来たら、消防車が停まって消防士の皆さんが何か作業してるな?とふと川の向こう側の良弁滝に隣接する「かめ井旅館」さんの方に目を向けてみたら、月曜日にはあった建物がこのようにすべて消えていました。よく見れば辺り一面焼け焦げて焼失していることがわかりました。

立入禁止ロープが張られた火事場から出てきた近所の方らしき方に聞けば、なんと一昨日の朝、火事で燃えてしまったそう。びっくりいたしました。ニュースを検索したら確かに!

https://www.fnn.jp/articles/-/368625

その近所の方は親戚で、「かめ井旅館」さんの飼い猫が見つからないから探していらっしゃるとのこと。

かめ井旅館さんは、天保6年に江戸幕府地誌調所に提出した『大山地誌調書上』では「本山京都聖護院末流 同六角住心院触下」「修験御師兼帯」「天台宗 藤之坊」とあります。その当時は後継ぎが絶えていたのか「当体無之ニ付」「後見 久蔵」さんがこの報告書を書いています。そして、良弁滝と良弁堂周辺の諸堂はこの藤之坊の支配下にありました。

大山のふもとに江戸時代の終わりまで続いた希少な山伏にゆかりの場で大変な災難。人的被害がなかったのがせめてもの救い。

2022年5月30日 (月)

大山町調査(伊勢原市)

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本日は天保6年(1835)『大山地誌調書上』に記録されている石造物で現存しているものがあれば写真におさめようと大山の麓まででかけました。

享保12年(1727)の夏、大山のふもとに石碑が建てられました。当時、大山山頂に祭られていた石尊権現(今は阿夫利神社本社)は救済の仏様、十一面観音菩薩でもあるとされていて、その記念碑のような石碑。その十一面観音を祭っていたお寺の跡地に、300年の時を超えてその石碑はまだ現存しています。「石尊御本地」とはっきり読めます。でも、ご覧のように今は横倒しになって単なる物置台。

この話も含めて、万象房で事務局を務めている相模国霊場研究会の第6回を6月6日(月)に相模大野で開催いたします。現在14名ご参加予定。5/31まで申し込みを受け付けています。ご興味のある方いらっしゃいましたらご連絡ください。
http://banshowboh.world.coocan.jp/sagami_study/

2022年4月30日 (土)

139ページの写真「明治三年の八菅山伏の碑伝」

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この碑伝の写真は表紙でも使用していますのですでにこちら↓でご紹介済みです。
http://banshowboh.cocolog-nifty.com/book2020/2020/11/post-901fd5.html

本文の以下修正箇所のみ、重要なので再度繰り返します。
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138ページ7行目:×「宝作(=豊作)万歳」→〇「宝祚(=明治天皇の位)万歳」
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(聖護院門跡 宮城泰年ご門主、上智大学 西岡芳文教授 からのご指摘)

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