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2022年3月14日 (月)

129ページの写真「開山上人の籠もり岩屋と友人シモン・ピエール」

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ここ浄発願寺は1938年(昭和13)に山津波の被害にあって、かつての中心堂宇礎石や石仏群、そして岩屋が奥の院として遺跡のような形で残されています。大山~日向薬師周辺の山歩きをされる方は一度は訪れるスポットです。浄発願寺はその後、もっと下流の方に移転して現在は立派な三重塔を構えるお寺へと発展しています。

安土桃山~江戸時代初期の木食の念仏行者、弾誓(たんぜい、たんせい)上人が修行した岩屋は、このお寺の始源の場として最も重要な聖地であったはずです。もちろん今でも燈明の火を絶やすことなく供養が行われていると思います。そして、弾誓上人の弟子たちがその教えを継いで成立した寺院や石造物は全国に存在し、丹沢周辺でも箱根の弾誓上人修行窟、真鶴岩の但唱上人岩窟石仏群(こちらは崩落の危険があって現在立入禁止)などがあります。弾誓上人の法灯は、その後、宗派としても天台宗弾誓派や浄土宗捨世派として教団化もされました。現在の浄発願寺は天台宗弾誓派の総本山です。

この岩屋の前で写真に写っているシモン・ピエール氏と知り合ったのは、2004年(平成16)、京都聖護院の2階の部屋でした。翌日から始まる葛城修行の前乗りで、聖護院の2階に宿泊した時に布団が隣同士でした。日本の山岳宗教や修験道は世界的にもそれなりに注目されている文化です。宗教学や文化人類学の外国人研究者が来日して山岳修行に参加することは珍しくありません。フィールドワークは宗教学や文化人類学にとって欠かせません。

シモン・ピエール氏はフランスのトゥールーズ大学大学院に籍を置いていました。日本武道家でもあり、各種武道の有段者で、トゥールーズに自分がオーナーを務める日本武道の道場を持っていました。ただ、その割に日本語がそれほど達者ではなく、そこで、言葉や現象の説明や文献探しのお手伝いをよく頼まれました。それに、丹沢周辺のフィールドワークに一緒に出掛けることもありました。懐かしい思い出です。この写真は2004年夏、ピエールは9月の大峰奥駈修行のために早めに来日していました。この時は、岩屋から車道まで下って来たらピエールの足でヤマビルが吸血していました。
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ピエールはいつも私の話を録音していました。そして、日本語が達者な奥様にそれを聴かせてフランス語に翻訳してもらっていたらしい。名古屋大学で西洋哲学の教鞭をとっていた奥様も大の日本通で書道とお琴のお師匠さんの免状をお持ちでした。そして、お琴の発表会が町田で開催されたことがありました。その時、初めてお会いして「私はあなたの声をよく知っています」と言われてびっくりした事があります。

ある時、国立国会図書館のレストランでピエールと昼食を共にしている時に、合気道の自分の師匠は日本人のタムラ先生だという話を聞きました。フランスで一番有名な合気道家だと。その時、自分の子供の頃の記憶がちょっと蘇りました。父親が若い頃に三重県の学校に勤めていた時の教え子で、良く家に遊びに来ていた人が合気道家になってフランスに渡ったという話があったなあ、と。すぐに父親に電話しました。まさしくタムラさんでした。父親も、私も、ピエールも、みな絶句してびっくりいたしました。国際的奇遇です。

そのタムラさんもその後病気で亡くなったそうです。そして、ピエールも2015年5月3日にフランスのご自宅で病気で亡くなりました。合掌。
万象房が始まって半年ぐらいの時(2007年夏)に、訪ねて来てくれた時の写真がありました。若いなあ。
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