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2021年12月

2021年12月30日 (木)

110ページの鳥瞰図「『黒尊仏山方之事』の参詣コース」

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この鳥瞰図も、カシミール(https://www.kashmir3d.com)と山旅倶楽部(http://www.yamatabi.net/main/index.html)で作成しています。作図についての詳細はこちらで↓。
http://banshowboh.cocolog-nifty.com/book2020/2021/01/post-9c5dee.html

19世紀の初め、大山寺の御師の一人が、大倉から蛭ヶ岳までを日帰り参詣登山した貴重な記録を鳥瞰図で読者の皆様にわかって頂ければと作図いたしました。

ちょうど先週、このコースの一部をトレーニングがてら歩いて来ました。文化2年(1805)に歩いた佐藤さんは、富士山・愛鷹山・箱根山・伊豆を拝めたのでしょうか?書き残していないところをみると天候に恵まれず拝めなかったのかもしれません。この絶景を見たならば書き残すだろうと思うのです。
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2021年12月20日 (月)

109ページの史料『黒尊仏山方之事』

P109_kurosonbutsusan

この文化2年(1805)の丹沢縦走の記録『黒尊仏山方之事』の写真は、以前、大山周辺の古文書を長年研究していらっしゃる川島敏郎先生が教えて下さりご提供いただきました。

伊勢原市教育委員会の方からも、前からあるのはわかっていたんだよ、と言われましたが、要はこれを目にした先生方はこの縦走路に関する土地勘と山岳修行の諸様態についての情報をお持ちでなかったので、それほど注目されることが無かったのだと思います。

ところが、山岳修行の宗教的思想と空間認識を研究している自分にとっては、とってもびっくりの史料で、山伏が峰入り修行をしていた時代と明治以降現在にいたるアルピニズム登山の時代の空隙を埋める史料、言い換えれば中世近世と近代現代をつなぐ史料として大変注目しているわけです。

本書では現代語訳してありますが、原文はこちら↓でご紹介しています。
http://musictown2000.sub.jp/history/kurosonbutu.html

詳細は拙稿「丹沢山地・蛭ヶ岳と山岳修行者の空間認識」『山岳修験』第58号(日本山岳修験学会 2016)をご覧下さい。

2021年12月16日 (木)

106ページの写真「方広寺の鍾銘」

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国重要文化財(美術工芸品)として指定されている方広寺の梵鐘(京都市東山区)は、高校日本史の教科書や資料集にも写真が掲載されていて、修学旅行で訪ねた方も多いと思います。総高は4mを超える巨鐘。我々が関東で大きいなあとびっくりする円覚寺(鎌倉)の梵鐘の総高が2.6m、増上寺(港区)が3.3mなので、大きさのレベルが一回り違います。当時の豊臣家の勢力の象徴として一度実見する価値はあります。しかも近くから銘文まで読めるし、ご丁寧に白いチョークで徳川家康がケチをつけた文言が囲われていました。

『日本の美術 No.355 梵鐘』(至文堂、1995)によれば、慶長19年(1614)、京都三条の鋳物師を棟梁に、駿河、江戸、伊勢、播磨、大和、河内など各所の有名鋳物師11人が脇棟梁を勤め、総勢3100余人によって鋳造されたそうです。

この写真の撮影は2017年4月11日。満開の桜と芽吹きの季節を迎えた久しぶりの京都でした。聖護院門跡に現存する『相州愛甲郡八菅山付属修行所方角道法記』の閲覧が主目的で、ついでにあちこちフィールドワークをしました。その時の日記レポート↓
http://banshowboh.cocolog-nifty.com/blog/2017/04/post-2184.html
http://banshowboh.cocolog-nifty.com/blog/2017/04/post-4a29.html

本書でもご紹介した「杉本坊周為・雑務坊源春連署書状」(住心院文書)から慶長年間の相模大山の大変革と徳川対豊臣の対立には何か連動するものがあるんじゃないかなあと感じていた次第です。

2021年12月 7日 (火)

105ページの写真「前不動の跡地 追分」

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大山の男坂と女坂が分岐するこの場所の江戸時代の様子は、天保6年(1835)4月に大山寺が江戸幕府地誌調所出役の内山孝之助と小笠原藤右衛門に提出した『大山地誌調書上』にこのように記録されています。
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前不動ゟ本坂末社覚

一 前不動堂地坪数百拾弐坪
   大山入口銅鳥居ゟ前不動迄道法廿弐丁

一 不動堂
   桁行四間五尺梁間同断 流破風
  不動尊
   木立像四尺三寸五分 作相知不申候
   二童子 木立像丈弐尺 作相知不申候

一 御棟札
     元禄六癸酉年   別當八大坊法印空辨   
   前不動堂大檀越内大臣源綱吉公
     十一月朔日  御奉行 五味小左エ門尉豊法
                豊前十左エ門尉忠政

一 同所ニ瀧有之前不動滝与唱申候
   瀧高サ九尺 瀧壺□間九尺
    瀧口者樋□落し申候

一 同所唐銅手水鉢
   高サ三尺四寸 渡り三尺五寸六分
    寛政十一己未年正月  

一 無動庵
   間口四間 奥行弐間半

一 本坂登り口石獅子壱對
   高サ 三尺四寸 長 四尺弐寸
    文政十三寅年五月

・・・(以下略)・・・

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「前不動滝」や「無動庵」など、今まであまり知られていなかった様子もわかります。『大山地誌調書上』は、『新編相模国風土記稿』編纂のために提出を求められた報告書ですが、編纂の中でまとめられたり省略されたり書き換えられたりする前の貴重な史料です。東京大学史料編纂所に大正時代に筆写された謄写本が現存していて、現在、筆者はそれをもとに少しずつ分析作業を行っています。その一端は、「相模の一山寺院と『新編相模国風土記稿』地誌調書上-大山寺と光勝寺-」『山岳修験』第65号(日本山岳修験学会 2020)に少しご報告してあります。

後は、相模国霊場研究会で、これから何回かに分けてご報告予定です。大山についての今までの歴史説明にかなり間違いがあることがよくわかります。次回の相模国霊場研究会は2022年6月6日午後3時15分、場所は相模大野のユニコムプラザさがみはらです。新しいご参加者常時募集中です。

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