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2021年11月15日 (月)

98ページの写真「大山寺院坊跡の平場」

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山に入る方は皆さんご存じですが、大山を含めて丹沢山地で鹿を見かけることは珍しくありません。鹿を見かけると喜ぶ方も多いですが、私はがっかりします。この鹿が運ぶ吸血生物の気持ち悪さを身を以て経験しているから。それに鹿が増えすぎて自然環境も破壊されています。

それはともかく、慶長10年に実雄が開基と伝えられる八大坊があったこの平場(加工段)には、江戸時代には、大日堂(3間2尺×4間半)・護摩堂(2間1尺×3間2尺5寸)・大師堂(2間1尺×3間2尺5寸)・客殿(10間×7間)・土蔵(3間×2間)・鐘楼(1丈1尺×1丈1尺)といった建物が立ち並んでいました。入口の門は薬医門です。『大山地誌調書上』(天保6年)には山内の様子が詳細に記録されています。おそらく中世の頃もここに別当坊があったのだろうと思われます。室町時代に聖護院門跡道興が宿泊したのもここだったのではないかと推測します。

八大坊のすぐ前には7間×6間の二王門がそびえていました。そこから前不動に下る本坂(今の男坂)にも道の左右に平場がたくさんあって、聖観音堂・太神宮八幡春日鹿島合社・庚申堂・子之権現社・大日如来堂・地蔵尊堂・弥陀八幡社・虚空蔵堂・十一面観音堂・恵比寿大黒堂・弥陀如来堂・文殊菩薩堂・薬師如来堂・聖徳太子堂・如意輪観音堂・愛染明王堂・役行者堂・毘沙門堂・地神荒神堂・五智如来堂・八幡社・大日如来堂・閻魔堂・牛頭天王社・馬頭観音堂・勢至菩薩堂・地蔵尊荒神渡唐天神相殿・弥陀如来秋葉権現相殿・正八幡社・千体佛堂・弁才天社・七福神天神合社・文殊堂の「本坂末社三拾三箇所」の小堂社が祭られていました。

現在の阿夫利神社下社の境内となっているエリアには、大覚坊・常圓坊・喜楽坊・橋本坊・中之院・宝寿院・実城坊・授得院・養智院・上之院・廣徳院・大勧進・神力坊・光圓坊・宝光坊・長順坊・泉岳坊・祐順坊それぞれの客殿と庫裏や土蔵が立ち並んでいました。この中で中世から続く院坊は大勧進だけですが、中世の頃はさらに家族で生活する僧侶・山伏・俗人もここに住んでいたので、ちょっとした山上宗教都市の様相も見られたのではないでしょうか。

『大山地誌調書上』(天保6年)については、拙稿「相模の一山寺院と『新編相模国風土記稿』地誌調書上-大山寺と光勝寺-」(『山岳修験』第65号、日本山岳修験学会 2020)で取り上げていますが、長大な量なので、相模国霊場研究会で何回かに分けてご紹介しながら皆さんと詳しく勉強していきたいと思います。まずは2022年6/6の第6回研究会の予定です。

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