96ページの写真「法印の首塚」
幼い頃、ここ青根に住んでいました。山梨県境、峠を越えれば道志村、蛭ヶ岳も檜洞丸も大室山も青根です。父親の職場は県立津久井高校青根分校。2016年に全焼してしまった神奈川県内最古の木造校舎青根小学校に同居していました(この小学校も閉校だそうです)。家はそのすぐ隣だったようです。
昭和30年代、津久井郡青根村が無くなり津久井町青根になってまだ間もない頃です。まず自動車そのものが珍しく、洗濯は洗濯板、夕暮れになるとムササビが飛ぶ、そんな環境です。当時は母親の実家三重県多気郡宮川村(私の出生地)に勝るとも劣らない自然の中です。
剣道の指導者でもあった父は、青根分校の剣道部を率いて県の新人戦か何かで強豪校を次々に破って会場を慌てさせたことがあったそう。理科教師として校庭で化学実験をしていたら大爆発を起こしてしまってちょっとした騒ぎになったこともあったそう。色々な出来事をよく聞かされました。
後に引っ越した秦野市渋沢から、小学生の頃、丹沢を縦走して青根まで歩いて行って青根の旧知の皆さんと旧交をあたためたおぼろげな記憶があります。その当時は、この尾根筋を江戸時代末までは修行していた山伏の事など、小学生では知る由もなく。後になって山岳宗教の研究を始めたら、あら青根に法印の首塚がある!紀伊半島吉野に行っても大峰の入口に青根ヶ峰がある!と、青根の地名に敏感になりました。津久井と吉野に青根があるのは偶然だと思いますが。
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