99ページの写真「法螺貝と山伏」
2004年(平成16年)の大峰奥駈修行、第59靡(なびき)「七曜岳」と第58靡「行者返」の間の下り急斜面ですぐ目の前の若い山伏の背中越しに撮影した一枚。奈良県吉野郡天川村と上北山村の境界になる稜線です。
確か、当時、彼は都内の某カソリック系有名大学の大学生で、この聖護院の修行だけでなく、一年の間に他の修験道教団の奥駈修行も複数かけもちしていて、君は修行マニアだねえ、という会話をした記憶があります。複数教団の山伏修行に参加するという事は、一年で数十万円をかけるという事で、しかも東京から飛行機を利用することもあると言うのにちょっと唖然とした記憶も。当時、自分は青春18きっぷと深夜バスで移動していたので。
そういうお金の使い方をする学生もいるのだあと思ったり、まず普段は遭遇することがない(自分の主観からすると)不思議な人生を送っていらっしゃる方々にたくさん出会える日々でありました。
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