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2021年8月29日 (日)

70ページの写真「江ノ島淵」

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2004年10月18日に愛川町半原・田代境にある塩川の谷に調査フィールドワークに入りました。目的は2つ。

まず、塩川の支流大椚沢の堰堤をよじ登ってその奥にある「金剛滝」(蜀江滝)を写真におさめること。これについては、29ページの写真「金剛滝」「胎蔵界滝」を参照してください。

もう一つは塩川滝の上流にある江ノ島淵を探すこと。塩川滝の手前の左側の斜面の獣道程度の踏み跡をここでもよじ登って塩川滝の上に出てそこから遡ってみました。ところがそれらしい風情のある滝が複数あって、このうちのどれかだと確信しましたが、特定は出来ませんでした。
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その後、この半原が地元の小島瓔禮先生(琉球大学名誉教授)から、地元山岳会のベテランの皆さんに案内されて江ノ島淵に行ってきたというお話を伺って、それはぜひ写真を拝見したいと思っていたら、「江ノ島淵追想」上・下『黄色いチラシ』平成21年(2009)5月1日号・6月1日号(荻田印刷)という文章を発表してくださいました。

小島先生たちは上流の林道からロープなども使って降りてきたそうです。その時のリーダー佐々木力夫さん(故人)撮影の江ノ島淵の写真を拝見して、あれだったか!と判断したわけです。昔の様子を知る佐々木さんの説明も紹介されています。昔は淵がもっと深く大きく淵の中で水が渦を巻いていたそうです。さらに関東大震災前の様子は数メートル四方の淵だったのではないかと小島先生も推測しています。

なお、江戸時代の江ノ島淵の伝承については『新編相模国風土記稿』が伝えているので、その原本もご紹介。
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