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2021年8月10日 (火)

63ページの写真「大峰山上ケ岳の女人禁制門」

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大峰の「女人結界門」は時代とともに標高の高いところへ移っています。吉野から登ってくると標高800mほどのところに「従是女人結界」という江戸時代の石碑が立っています。昭和45年(1970)まではここだったそうです。現在の写真の場所は標高1211mのあたりです。洞川から登るルートの女人結界門が上へ移動することに合わせた対応のようです。林業と観光業に従事する女性の便宜をはかるため、女性登山者への柔軟な対応、などがその理由だそうです。詳しくは鈴木正崇先生の『女人禁制』(吉川弘文館 2002)をお読み下さい。

大峰山上ケ岳の女人禁制は、明治政府の神仏分離政策の進行にともない全国霊山の神社化が進み、明治5年(1872)の女人結界廃止令で女性解禁が全国霊山で次第に進んでいった時代になっても、地域が団結してあくまでもその流れにさからって続けられている日本でもまれにみる1300年の伝統文化と言われています。

ただ、主要な修験道教団は、21世紀、そして世界遺産登録「紀伊山地の霊場と参詣道」(2004)に合わせてこの伝統文化を変えようと働きかけていました。しかし、その説得と審議の最中、山麓地域住民や信徒の方々を激怒させるような強行登山事件があって、結局話はまとまらずこの伝統文化は維持されることになりました。修行と祈りの仏教である修験道教団は、葬式檀家を持って経済的に安泰な仏教教団とは違って、トップダウンで物事を決めるような事は出来ないと思います。修行エリアを支える地域と信徒や在俗の山伏さんをとにかく大切にしています。

2012年、私は、奈良県天川村で、偶然その地域のまとめ役をしていらっしゃる方と2人で話をしていて目の前で衝撃の発言を聞いたことがあります。ついさっきまでご一緒していたある修験道教団のご門主で全国仏教会や宗教学術研究の分野でもご高名な先生(山伏)のお名前を出した途端、その方の優しい形相が一瞬変わって「あの先生は女性解放論者だからバチがあたったんだ!」と言われました。宗教的「タブー」意識の凄みを初めて目の前で見せつけられて、ただただ絶句いたしました。

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