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2021年4月 2日 (金)

31ページの写真「熊野本宮大斎原と大峰の山々」

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2003年9月に新客としてはじめて大峰奥駈を修行させて頂いた後、熊野那智で山伏の皆様に御礼とお別れのご挨拶をして、一人で熊野本宮に戻りました。川湯温泉の河鹿荘ユースホステル(現在は廃業)で修行の疲れを癒し、翌日から大斎原(おおゆのはら)を起点に熊野古道中辺路を歩きました。この写真は伏拝王子から。大斎原は明治22年(1889年)の洪水で熊野本宮が流されるまでの旧跡地です。

当時は、紀伊半島へ年二回の山伏修行と全国各地の修験霊山へのフィールドワーク調査を行いながら修士論文を書いていました。移動はJR青春18きっぷを多用、宿泊はほとんどユースホステル、40代にして貧乏学生調査旅行。

熊野古道中辺路はまだ世界遺産になる前だったので、現在ほどの賑わいもなく普通の山道と時々現れる山間の集落の舗装道路の繰り返しでした。修行中に同行だった東大大学院の井関君(たぶん今は気鋭の宗教学者)が一日で歩けますよ~というので、それを信じて軽く考えていたら40代の脚力ではその判断はちょっと甘かった。二泊取っておいて良かった。標高の高い大峰と違って暑かった。朝、本宮から歩き始めて、午後、バス停と車道のある近露王子あたりでビールと魚の美味しそうなお店を発見し一人打上げ。これがほんとに美味しかった。そのままバスでユースホステルに帰還。明朝はまた近露王子にバスで戻ってそこから歩き始め、口熊野(くちくまの)の田辺を目指しました。

山道ではほとんど人に出会わなかったので、中世・近世の石造物で特にお地蔵さんなどが鎮座しているとかなり不気味で背筋がゾクゾクしたこともありました。平安時代の熊野詣以来この900年ぐらいの間に果たしてどのくらいの人がここで行き倒れたのだろう?などと考え始めたら半端に歴史を知っているだけにもうダメでした。そういう時は覚えたての真言などを唱えながら必死で歩きました。

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