『丹沢・大山・相模の村里と山伏~歴史資料を読みとく』2020年9月23日出版

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どなたにも手に取って頂けるようにとハンディーなサイズの本を出版いたしました。この本には自分で撮影した写真や作図した図を中心に約100枚を使っています。本のサイズに合わせて写真や図は小さめにしました。でも、一枚一枚に歴史と思い出があります。一つ一つゆっくりとご紹介したいと思います。
http://banshowboh.world.coocan.jp/book2.html

2023年8月17日 (木)

国立公文書館蔵『相州大住郡日向薬師縁起』(「相州大住郡日向薬師縁記 全」)後段の全文の翻刻をアップしました。

http://musictown2000.sub.jp/history/ryousenjiengi.htm

2023年7月 6日 (木)

清川村のオオカミの骨

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 相模国霊場研究会の次回第9回でご発表予定の飯塚利行さん(清川村文化財保護委員長)の調査の様子が神奈川新聞に掲載されました!

2023年7月 3日 (月)

徳川家康の姪「万姫」と日向薬師のお話

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現在放映しているNHK大河ドラマを観ていて、3年前の調査研究を思い出しました。

伊勢原市の日向薬師(江戸時代以前は「霊山寺 日向薬師」、明治時代以降は「日向薬師 宝城坊」)には江戸時代に何種類もの縁起(社寺、仏像、宝物などの由来、または霊験などの伝説を記した文書)がありました。

古いテキストは火事で焼失し(でも写しが国立公文書館に現存していてその内容の分析と翻刻は以下拙論でご紹介しました)、長い間、寛文4年(1664)に「松嶋雲居和尚」という人が書いて「菅原氏 光顕院専誉伝守」という人が寄進した縁起が、日向薬師の代表的な縁起として、『伊勢原市内社寺縁起集』や『神奈川県史』や『修験道史料集』で翻刻され紹介されてきました。

ところが、この縁起は、ちょっと的外れの縁起で、あきらかに日向薬師と関係のない人が書いていることが内容からわかってしまう文章でした。でも、今まで、この縁起に関わっている上記の人たちが誰なのかを調べて教えてくれる研究者がどなたもいなかったので、論文を書く都合上、自分で調べてみました。すると、以下のことがわかりました。

寄進したのは、徳川家康の生母 於大の方(現大河ドラマでは松嶋菜々子)と再婚した久松俊勝(同じくリリー・フランキー)夫妻の息子 松平定勝(つまり徳川家康の異父弟)の娘「万姫」。血筋としては徳川家康の姪、そして養女として豊後国岡藩(大分県)主 中川久盛に嫁いで正室。法号は「光顕院殿心蓮社専誉普照伝守大禅尼」。

『伊香保記』という有名な紀行文の作者でもあり、相模大山にも参詣に来ています。当時、中川氏と万姫は熱心な薬師如来信仰を持っていたこともわかりました。そして久松氏の本姓は菅原氏です(日本は伝統的に夫婦別姓で、結婚しても実家の姓を名乗ります)。

そして、この縁起を書いたのは臨済宗の高僧 雲居希膺(うんごけよう/うんごきよう)。仙台藩主 伊達忠宗(伊達政宗の次男)に呼ばれて松島瑞巌寺を再興した人です。

つまり、徳川家康の養女「万姫」という当時最上流階級のお姫様の薬師如来信仰に応じる形でやはり当時有名な臨済宗のお坊様が書いて寄進された縁起だったわけです。

【参考】
拙稿「『相州大住郡日向薬師縁起』仮名交り文縁起について」(『山岳修験』第67号、日本山岳修験学会、2021)

2023年6月 5日 (月)

第8回 相模国霊場研究会

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有意義な研究会となりました。しかも、初参加の方が4名様も!ご参加ありがとうございました。神奈川新聞社の取材までして頂きました。

私の発表、『大山地誌調書上』につきましては、これにて完結。一年間にわたり全20部を翻刻して皆様にお示しいたしました。これを元に編纂された『新編相模国風土記稿』と合わせて分析することで、大山山内の認識と江戸幕府地誌調所の認識のズレや、山内の詳細な実態も見える部分があることをお示しできたかと思います。

川島先生の 「玉餘道人『相州大山順路之記』からみた江戸時代の大山の風景」につきましては、この史料だけに限らず、新発見の道中記や記録の数々を詳細に解説して頂いて、大山参りと大山道についての同時代史料による実態と通説との乖離を含めて、膨大な研究蓄積情報量の多さで、大変勉強になりました。

さて、次回第9回は11月6日(月)15時開場、同じく相模大野ユニコムプラザさがみはら ミーティングルーム4で開催します。ご発表は、飯塚利行さん(清川村 文化財保護委員)と呉 珂さん(神奈川大学大学院歴史民俗資料学研究科 博士後期課程)のお2人に決まりました。

旧相模国エリアの寺社・巡礼・霊山・信仰対象物などについての研究情報交換会です。ご興味のある方のご参加をお待ちしております。

http://banshowboh.world.coocan.jp/sagami_study/index.htm

2023年5月 6日 (土)

相模国霊場研究会 第8回のご案内

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ご参加者を募っております。何卒よろしくお願いいたします。
http://banshowboh.world.coocan.jp/sagami_study/

2023年2月16日 (木)

国会図書館で資料コピーの半日

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読まなくてはと思いながらもまだ読んでいない各種論文を読んだり複写したりするために2ヶ月ぶりに国会図書館まで出張(すべて購入できるほどのインカムはありません)。前回は上智大学N澤教授にばったりお会いしましたが、今日は知り合いには会いませんでした。東京の中心地も青空がきれいでした。

いつも利用していた国会図書館の大食堂がコロナ禍で閉店してしまったので、最近は引き続き営業している喫茶室のうち新館地下のお店でカツカレー定食を食べました。図書館に行くとカツカレーが食べたくなる条件反射。

2023年2月14日 (火)

金沢文庫 特別展「旅する、大蔵経―称名寺所蔵宋版一切経の道程―」

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フィールドワークガイド仕事の下見で横須賀まで出張したついでに、帰り際、金沢文庫の特別展「旅する、大蔵経―称名寺所蔵宋版一切経の道程―」に研修のため足を延ばしました。これはかなり手ごわい内容で、一般の皆様にこの内容を伝えるのはなかなか大変だろうなあと思いながらも、(現国名で言えば)インド・イラン・パキスタン・ウズベキスタン・パキスタン・中国ウイグル自治区など各所から中国にやって来て経典を翻訳したお坊さんたちや中国からインドへ渡ってたくさんの経典を持ち帰って翻訳したお坊さんたち、つまり「三蔵法師」が日本の文化にどれだけ大きな影響を与えたのか!と改めて思いながら勉強させて頂きました。2023年3月21日(火)までです。

余計なことを言うと、なぜアジア全体地図や東アジア地図を展示に使わないのでしょう?と素朴な疑問。閉館間際だったのでアンケートは書いていないので後出しコメントになりますが。

2023年1月23日 (月)

清川村生涯学習課 歴史講座「丹沢山麓の山伏と相模の村里」無事終了しました。

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本日は神奈川県愛甲郡清川村に出張してまいりました。清川村煤ヶ谷と江戸時代以前の山伏との関わりをテーマに講師を務めてまいりました。

明治5年に政府によって山伏という職業が禁止される前の数百年に及ぶ山伏と煤ヶ谷の関りをテーマに各時代の史料をもとに解説。定員を大幅に超える皆様が聴きに来て下さり感謝感激でありました。

このコロナ禍、あつぎ郷土博物館で決まっていた私の講演会が緊急事態宣言やまん延防止措置などで2回も直前に中止になってしまっていたので、久しぶりの講演でした。

終了後は、煤ヶ谷の先輩のお宅で打上げ🍺。飲まされました😵やっとの思いで町田まで帰り着きました。でも、フグちり鍋やフグのから揚げなど何十年ぶりに頂きほっぺたが落ちた状態でお暇いたしました。ありがとうございましたm(_ _)m。

2022年12月 9日 (金)

第8回 相模国霊場研究会のお知らせ

第8回相模国霊場研究会の会場使用予約手続きが昨日無事終わりました。
以下の予定通りになりますのでお知らせいたします。
ただ、会費の申請を500円としてしまいました(当初の予定では600円)。残金があるので今回に限りこういたします。

【日時】
2023年(令和5年)6月5日(月)
 15時開場・会場準備・受付開始
 15時20分~18時30分

【場所】
相模原市立 市民・大学交流センター
ユニコムプラザさがみはら
(小田急線相模大野駅 徒歩2分)
ミーティングルーム4(定員30名のところ感染症対策のため20名)

【会費】500円(場所代+事務諸経費)

詳細はホームページ↓をご覧ください。
http://banshowboh.world.coocan.jp/sagami_study/

2022年11月24日 (木)

国学院大学博物館特別展「走湯山と伊豆修験―知られざる山伏たちの足跡―」

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国学院大学博物館特別展「走湯山と伊豆修験―知られざる山伏たちの足跡―」を拝見して研修してきました。

2007年頃の拙著や拙論でも紹介したことのある伊豆半島を時計回りに巡礼していた修行(「伊豆峰」)についての考古学的知見からの展示。丹沢山地エリアと同様、明治時代初めに途絶えてしまっているし全国的にはあまり知られている修験集団ではないのでこうやって特集するのは大変有意義だと思います。史料がそれほど残っているわけではない中で周辺分野の情報をうまく活用していて見ごたえもありました。

ただ、タイトルの「伊豆修験」の用語は果たして適切なのかしらん?「伊豆走湯山修験」または「伊豆山修験」の略称として使っているのでしょうが、「~修験」という用語は所属一山(または寺社)名と組み合わせて使うべきではないのかしらん?伊豆国には別組織に所属していた山伏もいたはずですしねえ。

会期は11月12日(土)~1月22日(日)です。皆様にお勧めいたします。
http://museum.kokugakuin.ac.jp/special_exhibition/detail/2022_shugend

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