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History-Geography/歴史・地理・信仰・民俗

2017年6月27日 (火)

歴史地理&自然ウォーキング火曜組「相模川と桂川 ― 藤野から上野原へ」

Dscn5626 Dscn5628 Dscn5635 Dscn5623 相模と甲斐、国境の森。平安時代には国境紛争もあり、戦国時代には小田原北条氏と甲斐武田氏がせめぎ合い、武田信玄の娘が北条氏政に嫁ぐ大行列の幻や、甲州街道を行く江戸時代の旅人や参勤交代の行列をイメージしながら、貴重な北相模の植物観察ウォーキング。

雨は朝のうちに上がり、なんとか降られずに一日歩けました。ただ、やっぱり蒸し暑かったですね。平塚から遡ってくる高瀬舟の通船の終着点、山梨県上野原の川岸も確認できました。絶滅危惧種のネズミサシも発見。城川四郎講師がかつて命名したタンザワウマノスズクサもたくさん発見(命名種はキノコだけではありません)。お疲れ様でした。
 
次回は木曜組、7月13日(木)同じコースです。一回参加も募集しております。

2017年6月22日 (木)

古文書のくずし字

Unk4 奈良文化財研究所&東京大学史料編纂所が共同運用している「木簡・くずし字解読システム」を使っても、江戸時代の人の書いた文字は解読できないくらい崩してあるような気がいたします。古文書と格闘した一日。まだ五分の一ぐらい。

2017年6月19日 (月)

古文書調査@八菅山

京都の聖護院門跡に江戸時代から現在まで伝わっていた八菅山光勝寺(今の八菅神社及び愛川町八菅地区)の山伏の修行ルート報告書を基本史料に、秋の日本山岳修験学会学術大会に研究発表をする所存です。

つきましては、聖護院門跡の許可を頂いたり、愛川町郷土資料館を通じて、八菅に残っている古文書の閲覧撮影をお願いしたりと各方面にお世話になっています。
 
本日は、かつての聖護院直末の本山派准年行事のとある院坊の御子孫のお宅へ。ここのご先祖は、天保年間に聖護院門跡の雄仁法親王(光格天皇の子)が八菅に来山した時に御殿作りで中心的役割を果たしたらしく、菊のご紋の黒漆の箱に感謝状やびっくりするような下賜品が所蔵されていました。
 
しかし、自分の研究テーマは山の中の事。修行空間です。少しありました。
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2017年6月15日 (木)

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朝、1時間ランニングをしていたら、恩田川の沿道に美味しそうな赤い実がなっていて、どうも葉の形が桑ではないし、木苺にしては実が黄色くないなあ、なんだあ?と実を取って味見してみました。味はイマイチと思った瞬間、眼が合ったのです。思わずのけぞってしまいました。蛇!木に登ってこちらを見ていました。アオダイショウ。
 
因みにこの実のなる木はヒメコウゾの模様。和紙の原料にする交配種コウゾの親らしい。

2017年6月12日 (月)

津久井藤野・上野原下見その4

新コースにつき、もう4回目の下見。途中トイレがないのと、夏になるべき木陰の多いルートをなるべく、とか色々考えていると、あちこち歩く羽目になり。でも、だいたい決まりました。コースは短めで、曇天時と晴天酷暑日では後半はフレキシブルにコースを変えようと思います。

Dscn5402_2 向こうに見える山梨県上野原市までは曇天時ならという心積りで計画いたします。
本番は6月27日(火)/7月13日(木)「相模川と桂川 ― 藤野から上野原へ」(相模原市緑区・山梨県上野原市) 標高差160m

2017年6月 8日 (木)

歴史地理&自然ウォーキング木曜組「葉山」無事終了!

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今日のコースは小雨なら大丈夫だ!という強気の判断で実施を決行いたしました。午前中は降られましたが(酒井さんの植物レクチャーも傘の列の遠く向こう・・・)、新善光寺から海までの下山川流域を炎天下の中で歩くことを思えば、涼しくてむしろ良かったと思います。海にたどり着いた頃には雨も上がり、御用邸の周りを植物観察、そして大峰山にも登って森戸神社へゴール。先週末から風邪をひいて病み上がりの上、天候判断でニ三日前から悩んでいたので、無事に終わってとても嬉しかったです。
 
さて、次回は、6月27日(火)/7月13日(木) 相模川と桂川 ― 藤野から上野原へ(相模原市緑区・山梨県上野原市)
暑さ対策が必要かもしれませんが、状況に応じてコースも変えます。一回参加も受け付けています。お問合せ下さい。

2017年6月 7日 (水)

6/8(木)歴史地理&自然ウォーキング「葉山」実施予定です。

6/8(木)歴史地理&自然ウォーキング「葉山」実施予定です。小雨の場合でもコースをアレンジしながら対応できるフィールドですので、朝6時の段階で荒天でない限り実施する予定です。

2017年6月 1日 (木)

金輪寺というお寺

山梨県境の神奈川県相模原市緑区名倉(もと津久井郡藤野町名倉)に金輪寺という古いお寺が江戸時代の終わりまであって、その歴史が面白いです。
 
 金輪寺は室町時代から蔵王権現社(今の石楯尾神社)の別当(組織の最高責任者)で、戦国時代前期の頃は「座生山金輪寺玉蔵坊」として、名倉権現宮(蔵王権現社、今の石楯尾神社)にあった十数坊の中でも別当であり、たぶん奈良県吉野との所縁を持つ山伏(修験者)でもあったのだと思います。
 
 ところが江戸時代には、「野浜山金輪寺」という真言宗のお寺として活動しています。江戸時代に入って、この金輪寺は玉蔵坊であることを止めて真言宗寺院として再生し、引き続き、蔵王権現社の別当を務め、10世紀『延喜式神名帳』の「石楯尾神社」(いわたておのかみのやしろ)との連続性を強く主張しながら明治維新を迎えたのだろうと思います。ところが、石楯尾神社のご神体は江戸時代も引き続き蔵王権現で、しかも境内で役行者を祀っていました。山伏時代の信仰は残り続けていたのです。
Dscn5179_2 もちろん、今は、神仏分離でお寺は消滅、祭神も蔵王権現では無くなり、その頃を彷彿とさせるのは仁王門(現在は神社なので随神門)と灯篭の刻銘ぐらい。
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文亀三年(1503)『再造棟札』
「名倉権現宮、相州奥三保十八箇村、并河入郷七ヶ村、都合廿五ヶ村惣社也
応神天皇御宇、当社御幸所也
右相州毛利庄、大和国春日大明神御領也。
……(略)……
別当座生山金輪寺 玉蔵坊也、地頭二条関白太政大臣子孫、監物太夫信頼」
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天保12年(1841)『新編相模国風土記稿』
「○石楯尾神社
 別当 金輪寺(※ 野浜山ト号ス、古義真言宗)
 神体 銅像(立像、長一尺一寸)
 相模国高座郡十三座の一、式内の神社なりと云伝ふ(既に佐野川村にも石楯尾神社あり、…)
 祭神は蔵王権現なり、石楯尾神社・蔵王権現と並べ書したる扁額を掲ぐ
 伝え説く文亀三年に再建したる旧き神社なれども永禄十二年武田信玄三増の役より凱旋する時、路是辺
にかへりし時、火を放て経過し玉へば霊宝旧記の類悉く烏有となる」

2017年5月29日 (月)

藤野・上野原下見

Dscn5136 Dscn5143 Dscn5169 Dscn5188 Dscn5193 神奈川県相模原市緑区藤野町から山梨県上野原市まで、丘陵の森の中を超えてコース作りフィールドワーク。暑い一日でしたが、風あったので森の中は快適でした。オニドコロかカエデドコロか?沿道では黄色い花が満開でした。

ついでに、甲州道中コースも下見、関所の諏訪番所や諏訪神社など良いポイントもあるのですが、車の通る舗装道路で長い上り坂はコースに向かないのでちょっとがっかり。
 
本番は、6月27日(火)/7月13日(木)「相模川と桂川 ― 藤野から上野原へ」。一回参加も受け付けています。

2017年5月25日 (木)

下調べ出張@山梨県上野原

山梨県まで遠征してまいりました。歴史地理&自然ウォーキングの6月&7月は神奈川県と山梨県の県境を歩こうという企画です。相模川の源流桂川まで。かつて高瀬舟の船便が平塚の須賀港からここ上野原まで通っていたのです。資料を探しに上野原市役所や図書館も訪ね歩きました。
Dscn5105 Dscn5100 それにしても、上野原の中心市街地は、中央線上野原駅から高くて遠いのです。駅から標高差100mも登って2km以上を歩きます。途中、眼下に桂川が見えます。

本番は6月27日(火)/7月13日(木)「相模川と桂川 ― 藤野から上野原へ」。

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