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2017年7月20日 (木)

日本山岳修験学会 第38回学術大会@神奈川県山北町の発表要旨全文

房主の発表予定日時は10月7日(土)10:25。一般の方の聴講も学会員と同じく参加費(資料代込)が必要で事前申し込み制になるはずです。
 
以下、発表サマリーです。これから史料分析と考察をさらに進めて、発表用パワーポイントを作成いたします。
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聖護院蔵『相州愛甲郡八菅山付属修行所方角道法記』と入峰空間考  城川隆生
 
1、相模の国峰
 「国峰」とは、現在は「各国の修験霊山のうち、大峰・葛城に準じた行場などがあって、在地の修験者が活動している山、及びそこで入峰修行することを指す。(中略)特に本山修験宗では、(中略)大峰、葛城の教団入峰に準ずる昇進の基準としている」(『修験道小辞典』)とされている。近世以前の各国の国峰修行の様相は不明の点が多く今回は考察対象とはしえないが、少なくとも近世の相模の国峰については明確である。相模の国峰とは八菅山光勝寺(本山修験、聖護院直末、現在の八菅神社、愛川町)から大山寺本宮・不動堂(現在の阿夫利神社本社・下社、伊勢原市)に至る三〇の行所を巡る入峰修行であった。八菅山の入峰修行を「国峰」と記す初出史料は、管見では、慶長二年(一五九七)に「東向房祐恵」によって書写された『神分諸次第』の奥書で、そこには自分の修行履歴として「大峯国峯トモニ拾八度成就」とある。つまり「国峰」という認識は八菅山の中で中世から受け継がれていたことがわかる。また、本山の聖護院が国峰と認定していた証左としては、宝暦六年(一七五六)に聖護院から発給された『相州八菅山坊中掟之条々』の第一条「一、国峰修行無怠慢天下泰平国家安全之可抽精誠事」をはじめ、山内修行の度数を重ねた山伏に昇進の機会や褒美が度々与えられていることからも確かである。
 
2、八菅山内のテクスト群
 八菅山には入峰修行内容を記すテクストがまだ相当数現存している。ただし、慶應義塾大学宮家準研究室による八菅山総合調査時(『修験集落八菅山』一九七八)に対象となった旧院坊の各家も世代交代や八菅山外への転居が進み、所在を確認できない史料もあるようである。
 もと雲臺院(準年行事職)に伝来する『先達切紙』所収の「路嶽勤行之次第」は、入峰修行の詳細を今に伝える史料として知られるが、同題同文のものが時代と奥書の伝授記録を変えて残存している。先達が新客に書写させながら修行の次第を代々伝授していた事が想定される。内容は、番数、行所名、宿名、崇拝対象、勤行内容を箇条書きで記している。行所について記す最も古いテクストは天文十五年(一五四六)の『神分諸次第』で、碑伝に記すべき番数・行所名と童子名が簡略に記されている。
 
3、『相州愛甲郡八菅山付属修行所方角道法記』
 近年、首藤喜樹氏と聖護院史料研究所の三〇年以上にわたる研究成果が続々と発表され、聖護院文書や住心院文書の中から相模の修験についての本山周辺に伝来した情報も知ることが出来るようになった。その中に、八菅山から本山聖護院に提出した『相州愛甲郡八菅山付属修行所方角道法記』(聖護院文書一〇四箱八三号)という報告書が存在する。年号と記名を欠くが、本山からの命に応じて提出した文書であることが内容から推察できるものである。今回の報告では、この史料に記された入峰空間と空間認識の分析を他の複数テクストと比較しながら試みてみたい。
 現在、八菅山に残存するテクスト群で修行エリアの地理情報を記録したものは実は皆無である。入峰修行者の中では、地理情報は体感し、または口伝で、習得するものであって、それを書き残すということは論外であったと考えられる。唯一、地理情報が記録されているのは、幕府編纂の地誌『新編相模国風土記稿』で、これも地誌調所の役人に提出した報告書「八菅山光勝寺坊中惣代書上」(文政九年)がもとになっていると思われる。つまり、山外に対して報告の必要に迫られた時に初めて「この行所はどこである」という地理情報が記録されたことになる。
 これらのテクスト群から三十行所中五番に限って引用する。愛川町の名勝 塩川滝がある塩川の谷である。ここは、中世の『大山寺縁起』(真名本)にも記載がある、大滝が三つ存在する行所であった。
○『神分諸次第』
  「五番 瀧 飛龍権現、不動明王」
○「路嶽勤行之次第」(『先達切紙』)
  「五番 瀧本 心経三巻、不動明王宝号 飛龍宝号、四摩三障 皆悉除滅、現當所願 皆令満足」
○『新編相模国風土記稿』
  「五番 半原・田代二村の界鹽川、當所は七宿の内平地宿と云」
○『相州愛甲郡八菅山付属修行所方角道法記』
  「酉戌方三里余隔、五番 塩川 不動明王 飛龍権現 瀑布 善女龍王
   七宿之内第三瀧本平地宿ト号 今亡ス、半原村田代村境之地」
 
4、研究の課題
 『相州愛甲郡八菅山付属修行所方角道法記』を聖護院で拝見した当初、八菅山を基準とした各行所の方角と距離までが記されていることに驚き、修行空間認識の考察に有用な史料であると判断した。だが、その地理情報は相当に主観的な要素を含んでいることも事実である。また、多くの宿が「今亡ス」と記されているが、この記録が提出された当時の状況を推論するには年号を欠くことが大きな障壁である。

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